阜県活指導究協議会   会  員  通  信 wpe1.gif (6591 バイト)

      1998年 5月号 O.88

    会 長:加藤久雄 事務局:河田秀明

             編集部:上村文隆

 新学期が始まってもう2ヶ月が過ぎました。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。きっと新しい子どもたちとの出会いから、新しいドラマが生まれだしていることでしょう。さて、今年度も岐生研通信「かがり火」をよろしくお願いします。題字は変えたのですが、内容はいつもと同じ人が書いています。そこで、ぜひ読者の皆さんに自分の実践や学校の様子を書いて送って頂きたいのです。いろいろな実践をどんどん紹介していきたいのです。なおその場合、フロッピーで送っていただければ有難いです。

 さて、前年度も素敵な実践が登場しました。卒業式をフロアーで対面形式で行った細江先生の実践、河田先生の子どもの描いた壁画をバックにした卒業式の実践…。これから紹介するのは、河田先生の卒業式の構成詩です。この感動的な詩の中からそれまでの実践を読み開いてください。

  卒業式の構成詩

   ステージ一杯に飾った壁画。

(よびかけ)「卒業の時に謳う」 河田秀明

           1997年度 卒業生 

(1)今、私の心の内にある、一枚のパレット。これは、私が生まれた時に、母から授かったもの。「このパレットに、あなたの色を集めるのよ。」と、母は願ったのでしょう。

(2)今、私の心の中にある、1枚の画用紙。それは、私の誕生の時に、父から手渡されたもの。「ここに、お前の絵を描くんだぞ。」と、父は言いたかったのでしょう。

(3)今、卒業しようとする、この時に気付きました。この私たちの心の内にある一枚のパレットと一枚の画用紙。

(4)それは、私たちの誕生の時に、父母から受け取ったもの。

(5)それは、私たち自身の歴史を印すもの。

(6)それは、私たち自身の未来を拓くもの。

(7)そう、それは、私たち一人ひとりの人生を描くもの。

(8)入学から6年間。卒業の時にあたって、聞いてみたい。

(9)あなたのパレットには何色があるの?

(10)卒業の時にあたって、答えていきたい。

(11)私の画用紙に描かれた絵のことを。

(12)みなさん、聞いてください。

(13)私たちのパレットと絵の物語を。

<1年から4年までの思いで>

(1)いよいよ小学生になるんだと、緊張した1日入学。初めて見た運動場と校舎。幼稚園とは比べものにならないその大きさに、私はびっくりしました。受付場所の体育館で、お姉さん達にバッチをつけてもらい、教室まで連れていってもらいました。その途中で見た、目の検査や歯の検査の看板に、「何をするのだろう」と不安になりました。そんな私に、「こっちにすわって、まっててね」と、やさしく声をかけてれたお姉さん。私の気持ちが落ち着いていったことを覚えています。

(2)入学して1日目。教室のいすに座り、じっとしていた私。その私のとなりに、女の子がすわりました。その子は、すぐに話しかけてきました。ちょっとおしゃべり好きな子でした。私は、幼稚園のことを話しました。今まであまり友達とうまく話せなかった私でしたが、なぜかその時はうまく話ができました。不安な気持ちがほぐれて、ちょっとうれしくなった私でした。

(3)2年生になった私。はじめての下校の時のことです。1年生の時に使っていた靴箱をさがしていた私は、「靴がない」と、おろおろ歩き回っていました。こわくて、上級生に聞くこともできませんでした。でも、通りかかった公務員さんに、勇気をだして声をかけました。公務員さんは、私の名札の色を見て気が付いたのでしょう、私を2年生の靴箱の所まで、連れていってくれました。ほっとした気持ちとやさしかった公務員さんの顔が忘れられません。

(4)幼かった私たち。ちょっとしたことが心配事になりました。小さなことで、不安が生まれました。そんな私たちを支えてくれたのが、周りの人たちでした。お姉さん、お兄さん。公務委員さん、給食調理委員さん、そして先生方。さまざまな人のやさしさと暖かさに囲まれて、私たちは育ってきました。

(5)こうして、私たちのパレット中に「優しい色」が入りました。

<児童会活動>

  1. 6年生。今度は私たちが、下級生の子の世話をする番になりました。私たちは、「今までの6年生のようにできるのか」と、不安を抱きました。

(2)仲良しジャングルでのはじめの頃は、みんながしゃべらなくて、シーンとしていました。そんな中で、私一人がしゃべっていましたので、すごくむなしく感じました。とにかく、みんなの緊張をほぐすだけでも、6年生になりたての私たちにとっては、一苦労でした。

(3)全校の子が楽しみにしていたドキドキハッピーカーニバル。私たちのグループが計画したのは、「焼き芋」でした。重いれんがを運びこみ、落ち葉をいっぱい集めました。焼き芋をすることに、決めるときには反対していた子も、進んで仕事を手伝ってくれました。そして、みんなそれぞれのお芋を置いて、落ち葉に火をつけました。こんがりと焼けあがったお芋を、ほっぺをいっぱいにふくらませ、みんな本当においしそうに食べました。みんなのそのうれしそうな顔を見て、やけどをする子が出ないようにと、ずっと心配していた私も、やっとほっとできました。

 このカーニバルをやり終えて、私たちは、全校のリーダーとして行動することのむずかしさと、その責任の重さを感じとりました。

(4)こうして、私たちの画用紙に、一本の線が加わりました。

  <2部合唱「ゴールめざして」>

<運動会>

(1)小学校で最後となる運動会。荒馬の踊りをビデオを初めて見たとき「こんな踊りをするのは、いやだなぁ」というのが、私たちの正直な感想でした。しかし、ビデオで先生達がわらび座の人と一緒に練習している姿を見たり、わらび座の人に学校に来ていただき、実際に踊りを教えてもらうということを通して、私たちのやる気はふくらんでいきました。

(2)荒馬の演技リーダーの人達は、給食の配膳中に視聴覚室に集まり、荒馬の練習を続けました。そして、覚えたことを班の子たちに教えていきました。休み時間などにも、グループの子たちで教えあったり、みんなで間違っていることなどを直しあいながら、練習を繰り返しました。

(3)荒馬の大変さは、その踊りのむずかしさだけではありませんでした。荒馬の衣装をつくりあげることは、私たちの予想以上に困難な問題でした。この衣装作りは、夏休みから始まりました。まず、有志の子たちが集まり、ミシンで、たすきを縫いあげていきました。その他にも、竹を切ったり、板を用意したりと、先生方の苦労も大変なものでした。

(4)いよいよ9月。今年の運動会は、いつもより一週間早く、練習の時間もあまりとれませんでした。私たちは、必死に荒馬の衣装作りや練習に取り組みました。練習を繰り返しながら、この荒馬の踊りには、深い意味があることも知りました。そして、いつしか私たちは、荒馬が好きになっていました。

(5)そして、いよいよ当日。私たちは、精一杯の荒馬を踊り切りました。大きな拍手をいっぱい受けて、私たちの演技「荒馬」と、小学校で最後の運動会が終わりました。

 困難を乗り越えてやり遂げたこの「民舞荒馬」の成功は、私たち6年生の大きな財産となりました。

(6)こうして、私たちのパレットにまた一つ、色が入りました。

<修学旅行>

(1)荒馬の成功を財産として、私たちが次に取り組んだのが「修学旅行における京都市内グループ行動」でした。このグループ行動の成否により、私たちの培ってきた力が試されるのだと思いました。

(2)先生方に頼らず、自分たちが選んだコースを、自分たちだけで行くことの楽しみと、今までの6年生がやっていないことを試みるというチャレンジ精神は、私たちをわくわくさせました。しかし一方で、「本当にやれるのか。迷子になったらどうするんだ。けが人は出たときは・・・」などと、数々の不安がつきまと

いました。そこで私たちは、自らの不安と、先生方、両親の心配をうち消すために、三つの取り組みを進めました。それは、「忘れ物をなくすこと」、「チャイム席を守ること」、そして「私語をなくすこと」の三つでした。

(3)取り組みは、思うように進みませんでした。残念ながら、目標を修正せざるを得ない状況も生まれました。しかし、私たちの努力している姿は、確実に生まれていきました。

(4)10月31日の朝、二条城前のバス停に私たちは立っていました。京都市内グループ行動の始まりです。行き先は、それぞれ金閣寺、銀閣寺、清水寺。最終の集合場所は三十三間堂。私たちは、自分たちが計画したところへ向かって出発して行きました。

(5)バスを降りて、清水寺への坂道をしばらく歩きました。私は疲れてしまって、歩くのが遅くなっていきました。その時友達が、「早く、早く」と言って手を引いてくれました。やっとの思いで、清水寺につきました。清水寺の舞台から見た景色は、疲れがどこかにとんでいってしまうくらい、きれいでした。帰りの道で少し迷った時もありましたが、みんなで助け合って三十三間堂に着きました。

(6)途中で、道が分からなくなったグループもありました。買い物に夢中になってしまい、計画した時間通りに行けなくなったグループもありました。しかし、知恵を出し合い、支え合い、全グループが時間を守って、集合場所に集まることができました。

(7)自分たちの力でグループ行動をやり遂げたことは、私たち6年生に、誇りと自信を与えてくれました。

(8)こうして、私たちの画用紙に太く力強い線が加わりました。

   <2部合唱「さよなら友よ」>

<私たちが行った班での学習>

(1)私たちが最も大切にしてきたこと、それは学習です。人が人として成長するためには、学ばなければなりません。しかし、授業の中で分からないことに数多く出会ったときに、この学ぶということから、降りてしまう子が出てきます。私たちは、全員が分かるようになるためにどうしたら良いのかを考えました。6年生から始めた班単位で進める授業は、この全員が分かることをめざした結果としての授業でした。

(2)最初僕は、友達がむずかしい問題悩んでいるとき、見て見ぬ振りをしていました。しかしその時、悩んでいる子の所へ行って、一生懸命教えてあげている友達の姿を見ました。友達を大切にするということは、ああいうことなのだと思いました。それからは、僕も分かったことは、教えてあげたいと思うようになりました。それは友情を深めることなのだと今では思っています。

(3)私は前、社会科ガイドでした。だけど、どのように班での話し合いを進めたら良いのか、どんな質問や意見を出したら良いのか分からなくなるときがありました。そんなとき、友達が一緒に考えてくれて、助けられたりしました。そして私も、友達が困っていたら、一緒に考えてあげたり、教えてあげたりしたいと思いました。

(4)私は、あまり発表ができなくて困っていました。だけど班単位の学習をやってからは、自分で色々考えて発表ができるようになりました。そして、今ではそういう発表ができるようになった自分に誇りを持てるようになりました。

(5)私たちは、こういう班単位の学習を通して、一人ひとりがよく分かるようになりました。そればかりではなく、一人の意見だけよりも、みんなで考えた意見の方が、もっと良いものが生まれることを知りました。そして何よりも、友達の優しさと、知恵と、その大切さを知ることができました。

(6)こうして、私たちのパレットに、またすてきな色が増えました。

<中学校へ向けて>

(1)私たちは、この小学校時代を卒業し、いよいよ中学校時代へと進んでいきます。希望もありますが、テレビで流される中学校の事件などを聞くたびに、不安もつのってきます。

(2)私たちは、中学生がナイフを使って起こす事件が、なぜ起こってきたのかを考えました。

(3)僕は、事件を起こす人というのは、学習が「楽しく思えない」「やりたくない」という人だと思う。

(4)私は、話し合いがないからだと思う。親や先生はもっと一人ひとりのことを理解してあげて、子どもも、親や先生のことを理解して、お互いがどうしたらいいのかを話し合うことだと思う。

(5)テレビの影響ということもあると思うけれど、やっぱり一番の原因は、友達とのつながりを切ってしまうことではないでしょうか。

(6)事件の原因は、私たちには、はっきりとは分かりません。でもこれだけは言えると思います。「どんな時でも、私たちは、決して友達をみはなしてはいけない。ひとりぼっちの子をつくってはいけない」ということです。それは、私たちがこの小学校生活で学んできたことですし、最も大切にしてきたことでもあります。

(7)私たちが不安になるのは、中学校の事件だけではありません。今の世の中を考えると、このままではいけないと思うことが、いくつもあります。私たちが6年生で習った憲法には、平和な世の中をつくることが書いてありますが、現実の世の中には、殺し合いや、憎しみあいの事件が絶えません。

(8)でも、悲しいことばかりではありません。その一方で、阪神大震災の時の若い人達のように、ボランティアとして困っている人を助けたり、自然環境を守ろうとしている人たちが、世の中には大勢います。

(9)私たちは、こうした世の中の現実を深くとらえ、明るい未来を築くために、中学校でしっかりと学びたいと思います。

(1)今、私たちのパレットには、いくつかの色があります。

(2)今、私たちの画用紙には、ほんのりと絵が描かれています。

(3)中学校で、私たちは、どんな色を手に入れ、どんな絵を描いていくのでしょうか。それは、また楽しみな物語となることでしょう。

(4)これで、私たちのパレットと画用紙の物語を終わります。

    <4、5年生の呼びかけの発表>

(1)4年生・5年生のみなさん、みなさんからの励ましの言葉を胸にきざみ、リーダーとしてのバトンを今、手渡します。

(2)高学年としての自覚を持ち、私たちができなかったことにチャレンジしてください。お別れに、校歌をいっしょに歌いましょう。

    <4,5,6年生で、「校歌」を合唱>

<6年生>

(1)私たちを支えてくれた、在校生のみなさん(2)ありがとうございました。(3)私たちに、いろいろ教えてくださった先生方(4)ありがとうございました。(5)そして、私たちを育ててくださった、お父さん、お母さん(6)ありがとうございました。  

 

まだ整理できていませんが・・・98年度岐生研基調提案の原案

2月14・15日に行った常任合宿研のまとめです 

                           田中秀樹

 1、情勢のとらえ方と

   実践の方向を探る論議から

 近畿地区学校の基調提案についての学習は、その検討を通じて岐阜の教育や子どもの状況を洗い出し、実践の方向をさぐるという意図があった。

神戸の連続児童殺傷事件や栃木の教師殺傷事件など、一連の中高生・青少年の事件は全国を震撼させ、それについての外部での論議はさまざまにされているが、教育現場や家庭の理解や支持を得られるものは少なく、事態は深刻である。逆に言えば、現代の青少年が発信しているメッセージとは何なのかが読み開けず、したがって対応や指導の方針が立たず、良心的な親や教師ほど指導も管理も躊躇し、立ちすくんでいるという大人たちの光景がある。一方昨年に取り組んだ能重氏の講演会やこの2月の西濃教育フェスの子育てトークに予想をはるかに上回る親や教師が参加し、そこには子どもと悩みを共有し、時代の突破口を見いだそうとする願いが感じられた。

 こういう状況の中で、子どもは自分が世界や仲間とどう関わり位置付き、何に苛立ちや不安を感じていて、何処へどんな形でメッセージを発信すべきなのかが分からず、孤立無援の不安の中にいる。

 それへの対応として、少年法の改訂論議など危機管理の側面からの安直な解決を図ろうとする意見もある。それは、新自由主義は一皮むけば新保守主義にいとも簡単に転化すると云う本質を示している。それは発展しつつある子ども・親、教師の権利と自治を新たな局面で抑圧しつつ、子どもの権利条約やさらに憲法を無力化していく力の表出でもある。

 一方、これらの状況は民主的な教育を押し進める側の弱さも示しているのではないか。「80年代の管理主義批判は一定の正しさと有効性を持ってはいたが、90年代に入ってからのそれは違ったのではないか」という竹内氏の批判は、民主的な陣営が新自由主義の台頭に対する無警戒から、それとの間に癒着を起こすことになった点を指摘している。

 したがって今、新自由主義的なものも含んだ子どもの行為行動やマスコミ文化状況に対して管理主義的に全否定し、弾圧するという方向、あるいは発信され続けるメッセージに対して傍観、放置、無視し続けるという日和見的な方向の二辺をはなれた共生と自治と参加に拓かれた方向での実践を切り開いていくことが必要とされる。

 例えば近畿地区学校の基調では、硬直化した学校文化と新自由主義的商業文化の二辺から自由になり、それらを批判的に乗り越えながら第三の文化、つまり「自前の文化」を親や子どもと共に民主的に創造していく実践の重要性が語られている。この実践的な可能性や岐阜の状況での現実的な実践化の考察については時間の関係で深めることが不十分であったが、具体的な実践を検討することで今後明らかにしていく必要があるだろう。

 

2.学びの転換と授業改革の視点

 河田さんと佐藤さんの実践レポートを検討したことで、次のような研究的な成果が得られた。

 河田さんのレポートは学級の班や公私の小集団の活動の状態、授業と学びの形態や質がどのように変化発展してきたか、さらに子どもたち自身がどのような学びを求めているかについてのアンケートリサーチの結果という、大きくは3部構成になっていた。ある単元の中での場面、実践や指導、子どもの姿を描き出したものではないために、読んだだけでは何をどうしているのかが分かりづらい点はあった。だから具体的な分析とはならず、詳しく聞き込むことが多かったが、逆に言えば学びと子ども相互の関係性、授業改革の構想と、変革の流れについてはよく分かった。つまりこれは「学び」と授業構想の構造的な提案であったわけだ。今までの岐阜生研の研究会での提案としては初めての形態であったと言っていいと思われるが、このような形があってもいい。昨年度の服部潔氏を迎えての学習会も下敷きになっていることが伺え、学ぶ点が多かった。それを以下にまとめてみる。

 ひとつは、子どもと子ども、子どもと教師の関係性を支配と被支配という権力的なものから民主的なもの、共存的なものに組み替えていく学級集団づくりと、授業における学びの中での子ども相互の関係性を築き出す取り組みとが相互に響き合い影響し合っているという点である。これは河田さんがはじめからそういう視点を仮説として持って実践していることがレポートの構造から伺える。したがって今後の研究課題として、河田学級や他の学級での追試によって具体的な授業場面の実践レポートから、子ども相互の、あるいは子どもと教師の関係性や認識の変革について分析・検証してみることが必要であろう。

 二つ目に、学習主体の形成過程をどのように構想しているかという問題がある。河田さんの構想では、まず教師中心の授業→ガイド中心の授業→班学習活動とリサーチや発表 という流れであり、それぞれの段階に固有の指導内容があるというものである。これについては上村氏の試案による構造表がわかりやすかった。(任務からいうと私のすべきことだったかな?)それは学級集団づくりにおける構造表で「寄り合い期」「前期的」「後期」が、集団の中での個人がしだいに自立・解放されていく段階を示していたように、学習場面において教師の指導性に支えられている段階からしだいに子ども集団やその中の個々が学習主体として解放され確立していく過程の仮説と読みとれる。これも実践構想の意図、仮説としては、細部を聞くほど納得できる内容であった。

 学習主体の形成とは、極端に云えば内実の問題である。班とかガイドとか個人とか、学習の形態の問題よりもむしろその形態の中でガイド、班長、個々の子どもがそれぞれどのような学習のスキルと認識を獲得しているかが問題なのである。例えば教師の指導が中心となる段階では、各自の予習の仕方、班や教師への要求の出し方から図書室でのリサーチの方法など、学習者としての個々の子どもの基本的な学習のスキル獲得や学習計画を立てるなどの指導が必要であろう。また、ガイド中心の学習では、前もってガイドの具体的な役割と仕事の仕方、説明の方法、ガイドとしての予習の仕方、要求の仕方や引き出し方なども教える必要がある。当然班を中心とした学習では、班長、ガイド、班員がそれぞれにどのような働きかけを相互におこなっていき、学習を組織化していくのか、問題をどのようにとらえ、解決していくのか、発表をどのようにしていくのか、他の班の発表に対してどのように批判的に学んでいくのか等を教えていくのである。

 だから逆に言うと、形態が民主的で子どもにやらせ、決定させているからいいという態度は自戒すべきだろう。

 しかしやはり提起されているのは、あくまで構想と構造という仮説であるから、批判的に学び検証するには具体的な実践提起を待たねばならない。ただ、子どもの学習・参加主体の確立と独りよがりや実践の美化に陥らないようにという考えからだと思われる、アンケートによる子どもの証言を引き出して、それを次の実践の構想に生かしている点は、仮説の正しさをより確信させるものとなって作用している。

 しかしやはり具体的な実践の提出や追試が必要になろう。それは例えば、河田さんが「・・・学習の内容の深さには自信がない」「価値論争をしたいが・・・思いとはうらはらにできていないのが現状である」と述べているのは、実際にはその河田学級の学びの空間、その中心(例えば班の発表の場面)や周縁(例えば班学習の片隅で)でどのような学びのドラマが生まれているのかを批判的に検討する必要があるのだろう。

 そのような総じて岐阜生研の学びの具体的な実践への引き金として、河田さんの提案は大きな意味を持っていたと思われる。

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3.情報氾濫の時代に生きる力            としての「批判的な学び」

 佐藤さんの実践分析は、現代における教育の重要な側面を際だたせるものだったと思う。人間はすべて様々な情報を受信したり発信したりして生きている。そのあり方が現代というメディアの発達した時代にあっては、時代や世界、集団や個人との関係を複雑かつ強固に規定すると云ってもよいくらいである。 だからこそ現代の戦いは情報戦であり、それを正確に読みとる力と制御操作できるものが優位に立つ。情報操作は良くも悪くも意図的にも行われるが、無意識にされる場合もある。例えば我々の報告する実践レポートがそれであり、それは多かれ少なかれ実践の美化を含むものだということである。

 さて佐藤さんの実践についてであるが、詳細な分析が上村さんから出されているので、それを参照していただきたい。ここでは私の学んだことをまとめてみる。というのは、メディアの問題を本質的には「学びの問題」と深く関わっているいうとらえ方に一つの重要な指摘を含んでいると思うからである。

 それは例えば「道徳教育」の破綻が一つの例になるだろう。一つの資料を基に、そこに教師が与えたいと考えている価値があり、その心情を徹底して子どもに読みとらせ、それに浸らせることを目指すというこれまでの道徳教育が、この10数年来指定校研究等でさんざん推進された結果が、価値の押しつけにうんざりした子どもたちの大量出現であり、その反動でモラルなき新自由主義的マスコミ・商業文化に無批判にからめ取られていく青少年の群像なのではないか。私がかつて道徳の研究授業でディベートを公開したが、その時にある教師からの「道徳では子どもに価値をめぐる論争をさせてはならない、とある指導主事から指導されたが・・・」という証言がある。それは道徳に端的に現れてはいるが一般の授業でも我々の側の弱点としても、いつも教師は正しいと思うもの(それがたとえ平和や民主主義であっても)をのみ提示し、それを効率的にいかに獲得させるかに腐心することを授業として疑いを持たずに行ってきたという点があったのではないかと思うのである。この時代にあっては授業もまた生徒にとっての重要なメディアであり、その中で生活主体としての「批判的な学び」を身につけていくことは学校を効率的な大人生産システムから解放し学びの共同体として再生していくためには不可欠である。

 2月号の生活指導誌には、佐藤さんのもの以外にも常任の平井さんのものなど、興味深い実践が載せられていた。比較検討してみるとよいだろう。

 

 最後に課題を考えてみたい。近畿地区学校の基調提案の学習では、「新自由主義とどう対峙するか」というところまでは糸口がつかめなかった。稲垣さんは端的に「いったい何から何までボーダーレス化してしまって・・・大人は子どもの壁になるべきだ」ということをボソッといわれたが、私はある意味で(稲垣さんの云いたいこととずれているかも知れないので)それに賛成である。

 いま、この混乱した子どもの理解しがたい状況の中で、親も教師も立ちすくんでいる。良心的な教師や子どもに寄り添おうと思う親ほど、指導も管理も躊躇し、子どもを前に茫然とせざるを得ない。しつけや教育の中には即決性を伴うこともあり、「・・・どうしたらいいのか・・・」と思って見ているうちに子どもがどんどん変わっていく、何もできないまま時は過ぎていき、後に取り残されたような気持ちだけがある。そんな状況の中で教育をことさらに美しい情熱的な言葉で飾ったところで虚しく響くだけである。「子どもを受容しましょう。」「共感しましょう」「子どもに寄り添いましょう」もちろんそれを否定はしない。それができないから悩み苦しむのである。子どもに共感し受容しようとすればするほど、親や教師は自己を否定せねばならなくなる。先の稲垣さんの呟きには、そんな苦悩も覗いていると私は思う。私はそのような意見が断固として主張できるような学習会こそ今求められていると思う。ことさらに美しく飾る必要はない、子どもとは未熟でわがままであり、大人には理解しがたいところはあるのが普通であるし、異質ではあってもそれは大人も教師も同じなのである。今必要なのは、考え方や感じ方の差異は押し隠すのではなく、それを積極的に認めた上で、対等平等の地平で対話・対決・論争し、指導や管理を行うことだろう。

 だから「私はこのように子どもの壁になった、そして新自由主義と対峙した」という報告をも私は求めたい。そしてそれを具体的に分析・検討し、どんな場面でどのように、どんな形で教師は壁となれる、なる必要があるのか、そしてそういう教師の行為を指導と呼べるのなら弾圧ではなく、どの方向に子ども・生徒と共存的な文化や生活を見いだしていく可能性が存在するのかが明らかにされる必要があるだろう。

 今の状況では、小中を問わず、子どもが学校へ持ち込んでくるマスコミ文化等は全否定はできないし、またそれをしては逆に教育ではなくなるだろう。ただその文化や行為の持っているメッセージを教材化・対象化し、論争したり対決したりを乗り越えていく梃子になるのは、「権利と自治」ではないかと私は考えている。しかし特に現実の中学校の状況で困難を抱えるのは、小学生に比べて中学生の方が対他関係が権力的であり、「自他の権利と自治」についての認識が相対的に生徒も教師も後退しているか、あまり進展していないように思えるのである。だからつい現状肯定的になりやすいのではないか。現実的な接近としては、やはり中学校の学習での「批判的な学び」の実践に「権利と自治」を絡ませていくのではないかと漠然と考えている。とにかく具体的な実践の提起が要請される。

 まとまらないが長文化したので、以下は討論に代えたい。

 河田さん、佐藤さん、貴重な実践の提案ありがとうございました。

 

RE:まだ整理できていませんが

         河田秀明                                                 

秀樹さんの今回のまとめは、非常に分かりやすく整理されていると思いました。

今回の私のレポは、以前に提出した「学級構造」の授業版だと言えます。私のレポがこのように、組織・構造的なものになってきているのは、それが「今日の現場で最も求められているものではないか」という気がするからです。

 新版ができてから、本当にさまざまな実践が報告されるようになりました。発想の豊かさに、感心させられることが多いのですが、一方で「こんな実践には、現場の多くの教師は、ついていけないだろうなぁ」と思うことも少なくないのです。言葉を換えれば、「個人的な力量に寄りかかった、個の実践」が多いと思えるのです。提出されるレポートも、「部分」は見えるけれど、「全体像」が見えないものが多くなっている気もします。確かにそういうレポートも必要ですが、もっと「一般化、理論化」されたものが提出されないと、「実践のイロハ」(班の作り方、リーダーの育て方、係りの作り方、授業の進め方など)の部分で、とまどっている若い教師(若い教師だけでは、ないと思いますが)にとっては、有効なものになっていかないように思います。そのことが、全生研の会員の減少に現れているように思うのです。旧2版の時代には、「構造表」に象徴されるように、実践の発展の道筋が「この時には、こういう指導をしていけばいいのだな」と、大変分かりやすく書かれていました。そのおかげで、会員の多くの人が、結構良い実践(自身で納得できる)が展開できたのも確かだと思います。

 ますます荒れていく学校現場、その困難な状況を切り開く道筋を、中央の提起に待つのでなく、岐生研(地方)発の構造表をつくっていくで提起していくことは、結構おもしろいと思うのですが、どうでしょうかね。

────────────────────────────────────────実践の広場「学級通信から」

教室からお母さんへ 山之上小学校4年学年通信

────────────────────────────────────────1998.5.2. NO.22

お母さんの・・ 勉強室       細江 剛

   5/3は・・憲法記念日

戦後間もなく、1947年(昭和22年)5月3日に今の憲法が施行(その日から効力持つということです。)されました。それまではどんな憲法が日本にあったかというと、昔社会科で勉強したように“大日本帝国憲法"です。 今の憲法とどのように違うのかを6年生の社会科の教科書から抜き出してみました。

 

  日本国憲法

 

大日本帝国憲法

 

主権(国の主人公はだれか)

 

国民

 

天皇

 

軍隊

 

持たない(戦争放棄)

 

天皇が統帥する

 

選挙権

 

20才以上の国民

高い税金を払っている男性→25歳以上の男性

5/4は・・国民の休日 

 国の祝日と祝日にはさまれた日は国民の休日にするという法律ができて 以来、5/4は休日になっています。そこでクイズを! もし、5/1のメーデーが国民の祝日に制定されたらどうなるのかを考えて見て下さい。  GOOD,GOOD,GOOD,GOOD・・・・・・・

5/5は・・子どもの日

 日本では、5月5日を子どもの日(祝日)としています。その主旨は「子どもの幸福をはかるために。」 と記されています。この祝日が制定された年は1948年(昭和23年)です。)

 子どもの日は、世界各国でも制定されています。インドは11/14、アメリカ は5/1、中国は4/4、ロシアは6/1・・などなどです。

 数年前に日本は、“子どもの権利条約"を批准(ひじゅん)しました。子どもを大人は守り、一人の人間として大事に育てていこうというものです。

最近では、“子供"から“子ども"と表記されることが多くなっています。

  照本先生からの手紙

 お元気でお過ごしのことと思います。郡上の春も、1日1日と暖かさを増していることでしょうね。

 こちらは、もうすでに「夏日」になることも多く、ゴールデンウイーク頃からはじまる梅雨までの間一年でもっとも気持ちのいいシーズンを迎えています。

さて、いつもいつも「かがり火」をお送りいただきありがとうございます。時間の空いたときに楽しく読ませてもらっています。あっ、そういえば、郵送代を忘れていました。わずかですが切手を同封しておきます。

このところの河田さん、桂川さん、田中さんの意見交流、興味深く読んでいます。「関係性」をどうおさえるのか、という点ですが、たとえば教師ー子どもの関係性ですが、それはいろんな局面によって構成されています。競争的な日常の生活空間、「文化」をとおした内面支配、「学校」という枠組み、「教師」「指導者」という制度的ポジション、教師のパーソナリティーや指導のありよう、子どもたちの育ちの状況・・・・・これらが重層的に埋め込まれています。とすれば、教師ー子どもの関係性を問題にすることは、この関係領域に埋め込まれている支配と抑圧のからくり(メカニズム)からの自他の開放のみちすじを探索していくことにほかなりません。その場合、これは親子関係を問題にする場合にも共通することだと思いますが、具体的なかたちであらわれる「力関係」をかれらとともに知的に解明すること、この作業のなかに<対話>を成立させていくことが重要なのだろうと思います。

いまのところはまだはっきりしていませんが、「キレる」というのは、抑圧的な日常空間(その象徴および中核としての「おとな」「親」「教師」「仲間」と自己との関係)の衝動的な破壊と破壊することに対する一切の自己責任の放棄(=自己の投棄)なのではないかと考えています。このあたりのことについては、『わが子は中学生』の7月号に書く予定ですが、いずれにしても、教師ー子どもの関係領域にあらわれる「日常」をどう読みひらくかが、実践の基点になるでしょう。<日常>の再構築(=創造)への基点となる教師ー子どもの関係性をどのようなパースペクティブ(視野)のもとにとらえればいいのか。いましばらく、「かがり火」を読みながら考えたいと思います。

それから、同封したのは、折出さん、浅野さんたちとともに共同研究している「いじめの対処と指導」の報告書です。大人による危機管理ではなく、子どもたち自身が関係性を育てていく、という視点でまとめられています。とくにワークショップ・プログラムのなかのアクティヴィティは子どもたちと一緒になって楽しみながら、自他についての学びを育てていく内容になっていると思います。サークルでの講座、学級びらきや「道徳」のじかんなどに活用していただくと幸いです。(学校文化、教室文化を創造する、といった観点からもオススメですよ)。なお、一部しかありませんので、これは使えそう、おもしろそうというところをコピーでひろめてください。

それでは、岐生研の皆さんによろしくお伝えください。夏には北海道で(今回はじめて家族で参加しますので「外出禁止例」が出るかもしれませんが・・・・・・・・)お会いしましょう。

1998年4月3日 テルモト ヒロタカ

 

編集担当から:

「いじめの対処と指導」については私(上村)が預かっています。とても参考になります。それで一部を紹介します。もっと詳しく知りたい方は連絡ください。いろいろなアクティビティが詰まっています。