2006年度 岐阜生研:基調提案
「ここで共により良い生活をしようという願い」を育てよう!
〜対話と活動を通して、「班・核・討議づくり」の原点を再確認しよう〜
1,はじめに
教育は、教師と子ども、子どもと子ども、そして、保護者と教師が手を結んで育て・育ちあっていくものです。同じように、学校の教員は、それぞれの得手不得手はあるけれど、力を合わせて学年の学校の子どもを育てていくもの。そして、困った時には、保護者に学校に来てもらい素直に子どもの実態を話しながら、なにができるかをいっしょに考えてもらったものでした。「先生たちも頑張って子どもをよくしようとしとってくれるんやで、いっしょにやろうよ。」「今日帰ったら、さっそく子どもに話してみるわ。」「こんなことになっとるなんてはじめて知ったよ。日頃、忙しくて子どもと話しもしとらんかった。」と言いながら、いっしょに子どもを育てていこうという雰囲気になったものです。
ここが、行政のサービスとは違うところです。しかし、時代は、学校教育を「サービス」ととらえ、そのサービスの質によって評価するものに変えてしまいました。学校教育は、教師・子ども・親が信頼関係を持ちながら共に創り上げていくものとしてではなく、塾のサービスと同等なものにされてしまいました。当事者としてではなく、お客様として学校教育を見るようになった保護者と信頼関係を築くのは大変なことです。
世の中、共に創り上げていこうという流れよりも、よりよいサービスをお客様として受けたいという流れです。共同・協同(手をつなぐ)よりお客様(孤立化)です。
しかし、保護者も教師と同様、悩み多き時代です。悩みを話す相手がいないのです。教師が話し相手・相談相手となった時、保護者も救われるし子どもの救われます。やはり、教育の道は「手をつなぐ」ことでしか切り開くことはできません。いや、こんな中だからこそ、丁寧に一人一人がつながっていく道を模索していくのが私たちの進むべき道なのでしょう。だから、今年度の基調提案のテーマを「ここで共により良い生活をしようという願いを育てよう」という当たり前のことなのですが、当たり前のことができないで苦しんでいる私たちのテーマとしました。
この基調提案のテーマの「ここ」とは、子どもにとっては、日常を過ごす班・クラス・部活・子ども会などをさします。教師にとっては、学年教師集団・職員集団・地域の組織などをさします。テレビをみていると、月10万円で暮らせる〜とか、海外で暮らす〜とか夢のような話がばらまかれています。しかし、私たちの生活の根拠地は、「ここ」なのです。どこか他の所に逃避行することに夢をみいだすのではなく、今「ここ」の生活を変えていくことこそが大事なのです。
では、最初に、私たちが教員生活をおくっている「ここ」岐阜県の教育現場をのぞいてみることから始めていきます。
2,保守県「岐阜」の教育現場の特徴
20年以上、岐阜県で教員をしていますのでどっぷりつかってしまい、何が他県と違うのか特徴といえるのかが分かりませんが、実感で書きます。
@形を整えることが最優先され、教師も子どもも「適応」を求められる。
これは、儀式として行われる卒業式・入学式の時に最もよくあらわれます。「日の丸・君が代」は当たり前。口を挟むなどと言うことは、岐阜県ではあり得ません。教育正常化のあと、ここで闘うということはなくなりました。立ってじっと時の過ぎゆくのを待つのみです。それが、せめてもの抗議です。国家の強制には、じっと堪え忍んできています。教員に対する強制は、これに止まりません。週案提出当たり前。最近では、成績を付けるための補助簿まで提出当たり前という学校まであります。勤務時間などなきものとして考えよと言わんばかりの放課後会議オンパレードの学校もあり。教育をつくり出しているというより「やらされている」というのが実感としてあろます。これは、時間泥棒に実践の夢を自主性を奪われている感じです。
人間としての基本的人権が、ことごとく踏みにじられ無権利状態で働かされているのが岐阜県の教員の世界です。ここで、「NO!」と言えないのが岐阜県の教員のおかれている苦しさです。君の人権より、形を合わせることに協力するのが教員(公務員)としての役割ですと言われます。
同じように子どもも「学校の生活」に適応を求められます。学校の校則の是非は問題にしません。校則の是非よりも「決まっていることに従う」ことに膨大な力が注がれます。
A「適応」できない子は、排除される。
では、その学校に適応できない子どもはどうなるでしょうか。排除されるのです。「その髪の毛では学校に入れられない。ちゃんとしてからもう一度出直しなさい。」と家に返されるのです。この子の話を聞く・悩みを共有する・クラス全体でいっしょに考えるという流れを断ち切るのです。不登校の子は、カウンセリング・保健室・相談室へという流れ。ひどくいうと、適応できる子だけでクラスをつくり、良いクラスという影をつくり出していく教師が増えてきているのです。
B点数のとれる子・部活で活躍する子が優遇される。(能力主義)
一方、適応している子は、点数至上主義です。「自分より点の低い子を探しては、ほっとする。点数の高い子を、自分より上の子と見る。」人間関係が点数で決まるのです。人間を点数だけで見るのです。人間差別が、点数で行われているのです。受験がすべてという学校にふさわしいのかもしれませんが。
もう一つは、部活で活躍できる子が一目置かれています。県大会、東海大会に出場ともなればそれで高校へという形になります。そして、「勉強」と「部活」が中学校生活のすべてになっています。
C関係性が持てない生きづらさの中にいる子どもたち
今の中学生は、とても不自由な人間関係の中で生きています。仲間に言いたくても言えない関係です。S中学校で実際にあった事件に対する取り組みを通して見てみましょう。「あめ玉事件」から自分たちの生活全般をふりかえらせる機会を持ちました。
学年会では、次のように進めました。@学年会で事件について子どもからの情報を伝える。A各クラスで関係者に事実を聞く。B学年会で交流する。C個人的に話をして期待と変革を迫る。D緊急学年集会を開いて2年生の担任全員で事実と思いを話す。E話を聞いての自分の思いを紙に書く。(次に載せた文はその時のもの)F各個人の思いを班・クラスで交流し、各クラスで決議をあげる。
私は、今まで「やってないからいいや。」でピン球やスーパーボールなどで遊んで
いる人たちを見て見ぬふりをしていました。注意したら何を言われるか分からな
かったから、MDを聞いていても 注意しませんでした。いけないと思ってもダメ
なことはダメと言えませんでした。
なぜ言わなかったかと今では思います。ダメなものはダメなわけで、いけないこ
となのに・・。
昼休みに男子がスーパーボールなどで遊んでいました。席にいるとボールが当た
ります。痛かったです。一日一回はボールが飛んできました。それでも、何を言わ
れるか分からないので注意 はしませんでした。一部の人が2Eにいたことも知っ
ていました。でも、関わりたくなかったので見て見ぬふりをしました。今日の話で、
見て見ぬふりも同じくらい悪いことだと分かりました。
私は、弱い人間だから、まだダメなことをダメと言う勇気はないけど、いつかダ
メなことをダメだと言える人になりたいです。見て見ぬふりは嫌だから・・・。
自分のクラスの女子がお菓子を持ってきて、昼休みとかに食べていることはもう
知っていた。 授業中にお菓子を食べていることも知っていた。他のクラスの女子
も食べていたことも知っていた。でも、注意できなかった。もし、女子に注意した
ら、自分は嫌われるんじゃないかって思っていた。女子が授業中や昼休みにお菓
子を食べていた時、自分はこいつらやばいなあって思った。いづれかは、先生に絶
対ばれるなあって思った。注意できなかった自分がまだ未熟だと思った。ばれなき
ゃいいっていう問題じゃないから・・・最初はドキドキしていた自分だけど、一日
ばれなくて、それからは大丈夫っていう意味も分かった。
自分でも悪いとは思っていなかったことが一つだけある。でも、今はそうは思わな
い。それは、トイレのゲタのことだ。最初は、マジでめんどいなあとか思っていたけ
ど、今は何でゲタをはかないのかなあ?汚いって思うようになってきた。そう思う人
が普通だと思います。男子の大半はゲタをはいてトイレの中に行きません。きっとそ
の人たちは、汚いとかめんどいではいていかなくてもいいと思っていると思います。
その人たちは、感覚がマヒしています。議専でその話が出てから、僕は必ずトイレの
ゲタをはいてトイレに行きます。そして、注意もします。だけど、他のクラスの男子
には注意ができません。なぜかというと、怖いからです。みんなはいてないのに良い
子ぶって注意して・・・絶対みんなそう思うと思います。・・・(中略)・・・
正しいことは正しい!間違っていることは間違っているで、しっかり教えてあげた
り、自分の正しい道へ進まなければいけないと思いました。最近二年生は、だらだら
している。なおすいいチャンスだと思います。 (B君)
私は、学校に携帯やアメを持ってきていた。はじめの方は、もらって食べてただけ
だったけど、いつももらってばかりやといかんなあと思って持ってきたのがはじめだ
けど、やばいなあと思ってもらっても学校では食べずに家で食べていた。で、先生に
バレんけりゃいいやあみたいな感じやったけど、だんだんヤバイことって分かっとる
のに、やっとる自分が嫌になってきたし、でも、ここで誰かに注意してもお前も
やんかあみたいに思われて、今の関係が崩れるのが怖かった。
携帯は2回持ってきて、はじめは何かみんな持ってきてるし、いいやあみたいな感
じで持ってきてかまってた。2回目は、1回持ってきとるしドキドキ感はなかったけ
ど、しちゃいかんって分かってることをやっとる自分が本当イヤで、自分から変わら
なあかんなと思って、もう持っていかんって思った次の日に先生からの呼び出しがあ
った。内容はだいだい聞いて分かってたけど、何かうまく先生に話せんかった。ダメ
なのに分かっとるのに、そういうことができちゃう自分がこわくって、でも、こんなこと
誰にも言えんしで、先生に聞かれて自分の気持ちとか打ち明けたらなんかスッキリし
て涙が出てきた。ずっとこわかったし、今、先生に見つかって良かったと思う。先
生に何も言われなかったらこのままズルズルいってたと思うし・・・。で、その日の
「明日を開く」に先生から「一緒にがんばろう。自分を好きになれるように。」って
書いてあって、そうやって思ってくれる人がいるなら、変わらないかんって思った。
今、変われるチャンスをくれたんやし、今変わらんかったら、先生を裏切ることに
もなるし、先生にウソついたことにもなるから・・・。ちゃんと自分から変わって悪
いことしてる人がいたら、注意できる人になりたい。 (Cさん)
私は、正直、誰が何をどんなふうにやっているか知っていました。昼休み、あの子
があんなことをしているなぁぐらいに考えていました。悪いことだと分かっています
でも、そんな簡単に注意できるものではないことも知ってほしいです。もし、あの子
に注意したら、「何、こいつ」とか「ウザイ」とか言われるだろうなあと考えると口が開き
ません。でも、今日の先生たちの話を聞いていて、注意できるような仲間関係に
したいなあと思いました。
でも、正直に言えば、どのクラスにも「こわい子」というのが必ずいます。私は、
やっぱりコソコソと悪口を言われたり、嫌がらせをされるのはイヤです。だから、答
えは見つかりません。しかし、これからの問題だと思ってはいけないと思います。
また、持ってきてはいないけど友だちに誘われてお菓子を食べたことはあります。
帰りだし、ちょうどお腹も減ってきたし・・・。そんな気持ちで食べていました。で
も、やっぱり罪悪感というのが心の中に残っています。こんなことして見つかったら
怒られるだろうな。自分でやってはいけない事だというのは自覚しています。でも、
食べたらお腹も少しはふくれるし。そんな事を考えるとやっぱり止められません。私
は、先生たちの話を聞いていて、なんか「麻薬」に似ているなあと思いました。一回
やったら止められない。それはそっくりだけど、一つだけ違うところがあります。そ
れは、誰かが注意してくれて反省したら絶対に止められるという所です。先生たちは
見つけたら何度でも注意してくれます。だから、罪悪感を残さないためにも、今日か
ら今から止めていきたいと思います。
今日の学年集会で、私はもう一回はじめからスタートしてみようと思いました。不
要物などは持ち込まない1年生の時の生活を思い出そうと思いました。そして、注意
し合える友だちづくりをしていこうと思いました。 (Dさん)
彼らの道徳観として、「ばれなければいい」「みんなもやってるからいい」があります。これは、無道徳そのものです。特設道徳での徳目主義は、子どもに道徳を教えることにはなっていないと改めて感じます。そして、「おかしいと思っても言えない人間関係」があります。権力関係(差別関係)の中で生きている子どもたちの姿がここからも伺えます。“触らぬ神 にたたりなし”という寂しい関係になってしまっているのです。
さあ、この作文を使って学活をしようとした時、話し合いができない事実が浮かび上がりました。紙を見ていうことはできるが、それについて話し合いができないのである。
ここで、また学年会。「帰りの会の時、班会議でちゃんと話し合いが成立してない。」「先生が間に入らないと問題の解決もできない。」「自分の思いを相手に伝えることに極端に躊躇する。」など次々と出された。
この子どもの実態を、集団づくりの三側面から見てみよう。
「班づくり」=関係性の指導→お互いに自由に言い合える関係になっていない。
「核づくり」=主体性の指導→間違っていることをしているのに正義を主張できない
「討議づくり」=合意形成の指導→自分たちの生活をこうしていこうという話し合いができない。
私たちは、子どもたちに「自治の力」を付けることをめざしています。民主主義の力とは、自分たちの生活を自分たちで創り上げていくことそのものです。そのためには、自由で平等な人間関係(班づくり)と正義を主張できるリーダー(核づくり)とお互いの違いを認めながらも、より良い生活をめざすための合意づくり=ルールづくり(討議づくり)の力が必要です。それを全生研では、「班・核・討議づくり」といってきました。この力が残念ながら子どもたちについていないことが読み取れるのです。
話し合いができないから、点検項目をつくって管理する。管理される方が楽だから、子どもは一応従う。見た目には、きちんと行動しているかのように映ります。短時間で成果が上がるから管理職には覚えがよくなるわけです。しかし、子どもたちは管理してもらわないとどうしていいか分からなくなるのです。かくして、益々子どもは考えなくなるのです。考えなくなるから、思春期になってもまるで幼児のように指示されないと動けないのです。悪循環です。
かえって、子どもの声を聞いていっしょに考えていこうという良心的な教師は、甘いということになってクラスが落ち着かなくなるのです。だから、手っ取り早く管理する方向にはしっているのが岐阜県の教育の方向なのです。
D教師も競争をさせられている。
良いクラスをつくりたいという願いは、教師である限り誰しも持っています。それは、適応できない子も含めて共に生活をクラスでつくっていくことに他なりませんが、うまくいかないのは、あの子がADHDだからとかつい病名などを付けて自分を免責したくなるものです。
岐阜県の良いクラスのイメージは次のようです。@問題が起きない。A先生の指示に従ってさっと動ける。B授業は、活発に取り組む。これにはずれると駄目クラスというわけです。形を整えることが教師に求められます。従って、指導は問題を起こせば叱責、個人の責任にします。動けるようになるまで何度でも反復するという形になりがちです。
だから、駄目クラス、駄目教師に見られないように教師も必死にならざるを得ないわけです。2006年度からは、校長からその動きが評価され賃金まで差別される時代です。ますます形を整えることに汲々とするに違いありません。
前近代的な封建制の強い岐阜県は、学校が変わることよりも問題がなく過ぎることを至上命題としています。従って、事細かく教師を縛ります。子どもとこんな活動をということよりも問題が起きた時のために週案の書き方とかを気にします。自主性・社会性・創造性を培うのが教育のはずであったのに、・・・。問題が起これば、子どもと共に考えどうしていくか話し合い、自分を自分たちを見つめ直して生活していくのが教育なのではなかったでしょうか。どう動けばいいかを考えて、自分たちで動きをつくらせていくのが教育でなかったでしょうか。
教師も「本来の教育」とは別な「強制教育」でますます競争させられていくのです。
教育とは、時間のかかるものです。話し合い・民主主義というものは、時間のかかるものなのです。
3,「ここで共により良い生活をしようという願い」を育てるために
では、教師も子どもも孤立化させられている中で、私たちはどう実践をしていったらいいのでしょう。「困難な時は、原点に立ち戻る」しかないのです。バラバラになってしまっている関係をつなぎ合わせていくしかありません。本当は、つながりたいと願っているのが人間ですから。自分が所属している場で、糸を紡ぐようにつなぎ合わせていく先頭に立つのが教師でしょう。教師と子どもがつながる。子どもと子どもがつながる。教師と保護者がつながるところから、「ここで共により良い生活をしようという願い」を育てるのです。
これは、全生研の言葉でいくと「班・核・討議づくり」における班づくり(関係性の指導)の側面を丁寧に行っていこうということになるでしょう。繋がりが断ち切られてしまっているので、丁寧につないでいきましょう。対話と活動を通して!まず、個の存在感を無条件に認め合える関係を教師と子ども・子どもと子どもの間につくり出すことです。書くのは本当に簡単なのですが、実践となると難しいことです。
どうも、集団づくりというと「組織を作ってまとまって活動をしていく」という団体主義的なイメージで見られがちでした。社会主義=独裁主義、管理主義という間違ったイメージとして受け止められているのと同じように。本来は、社会主義=民主主義が花開き個の尊重が最大限に尊重される社会であるはずです。集団づくりも、「一人はみんなのために みんなは一人のために」という言葉に象徴されるように「個の成長は、集団の成長なしにはあり得ない。集団の成長は、個の成長なしにはあり得ない。」というごく当たり前の民主主義をめざす考え方です。この民主主義をめざすために、関係性の指導(班づくり)+主体性(自主性)の指導(核づくり)+合意形成・共同行動組織の指導(討議づくり)の三側面の指導をしていくことが必須だと考えたのが全生研であったわけです。
昨年(2005年)に出された全生研の「子ども集団づくり入門」には、「班・核・討議づくり」という言葉が出てきません。全生研が大事にしてきた三側面の視点が、書かれていないことで入門にはならないという意見があります。今までの全生研は、集団発展の方向(組織重視)だから、もう現状に合わないという議論もあります。「子どもの問題を解決するためにこそ班・核・討議づくりが生み出されたのだ!民主的な集団をつくろうと思ったら絶対この視点が必要。この班・核・討議づくりこそ今強調する必要がある。」と岐生研で強調する方も見えます。
しかし、「班・核・討議づくり」という言葉はないですが、私流にいうと「自主性・社会性・創造性」の指導=班・核・討議づくりですので、この「班・核・討議」という言葉を入れるかどうかが全生研のアイデンティティなのかどうかもっと議論を深めることが必要だと思います。誤解を受けるような言葉なら、いっそなくしてもいいのではないかとも思うのですが、社会主義が誤解されているから、その言葉はなくした方がいいということにはならないので、やはり誤解をといていく道が正しいのかとも思うのですが・・・これは、会員のみなさんと論議をして原点を確認していくことこそが眼目となるだろうと考えます。
ここで、子どもや教師のおかれている現状を考えてみると、この集団づくりの3側面の一つ一つを丁寧に行っていくことが求められます。「これが正しいからこうしよう。」と主張すれば通る職場でないことはみなさんご存じの通りです。いつも正義を振りかざして主張すればするほど浮いていってしまいます。正義が通るようになるためには、まず、あの人の話を聞いてみたい、話してみたいと思われる存在にならなければなりません。日常的にいっしょに生活し、実践を知り合い、学び合う中、助け合う中で徐々に関係性がつくられていくのです。
要求の組織化=見通しの形成が、集団づくりでもあります。要求にあった取り組みをしていかなければみなさんついてきませんし浮いてしまうばかりです。これも、原則は分かるのですが、現実に要求をつかんで組織化するのは難しいというしかありません。しかし、ここから始めていくしかありません。子どもは、小学生も中学生も幼児性を引きずりながらも仲間を求めています。やはり、人間ですから人間とつながりたい。しかも、自分を理解し、自己実現することのできる仲間を求めています。と考えてくると、子どもの要求をつかむためには、対話を丁寧にすることから始めていくしかありません。「ここで共により良い生活をしようという願い」を育てるためには、まず、「話をする・話を聞いてもらえる関係」になれるかどうかです。対話を成立させる上で気をつけていくことを確認してみましょう。
(1) 教師と子どもがつながるために(つながり方が大事)
→対話の重要性<個人指導>
@とにかく話を聞く。
つながりたいが、つながり方が分からないために暴力をふるったり、閉じこもったりする子どもが増えています。問題を起こす子も問題を起こさない子も聞いてほしいのです。私たちが、誰かにこの苦しみを聞いてほしいのと同じように。聞いてもらえるだけで癒され次へのエネルギーになるのです。まず、じっくりと話を聞くことから出発です。特に、問題を起こした時は、チャンスです。やっかいなことを起こしてくれたという捉えではなく、「指導のチャンス訪れたり」という構えでじっくりと話を聞き出しましょう。
A感情を言葉にさせる。
思いを言葉にできないから暴力に走ったりするわけです。その子の感情が行動でヘルプを求めているわけですから、その感情を言葉に置き換えてやらないとその子自身が考える足場をつくることができません。感情に言葉を与えてやること。それが、教師の知的役割です。
B話の内容の是非は問わない。(感じてあげる=相づちを打つ)
自分勝手なことを子どもはいうものです。人のことを考えない言動もします。しかし、子どもから話を聞いたら、まずは、価値判断を教師がせず、相づちを打ってどうしてそうしてしまったのかを感じてあげることが必要です。すぐに、それは間違っていると教師は価値判断をして「おまえが間違っているだろう!」と言わせたがりますが、それでは子どもは考えないし、この教師は話をしても無駄だと逆に判断し話をしなくなってしまいます。
C自己と向き合い選択させる。
話を聞き受け入れた後、子どもにどうしてそうしてしまったのか、それは妥当だったのか、これからどうしていくのがよいかを自己選択させるのが教育です。聞くと言うことは相手に気づかせること。自主性を育てるのです。
D今できることから出発する。
これは、問題を起こした子の指導に限らない。目立たない指導も同じです。目立たない子ほど声をかけてもらうのを待っているものです。
(2)子どもと子どもをつなげる→「居場所」づくり <集団指導>
話して分かってもらえる場所があると、人間は生きていけます。そんな場所を、班・クラス・学年教師集団・職場と広げていきたいです。その場所を「居場所」という言葉で表現すると、その居場所は、子どもの実感としては、はじめは「避難場所(安全)」であり、「居場所として落ち着ける所(安心)」であり、最後は「自立への根拠地」となるものです。
この居場所をつくるためには、子どもと子どもをつなげることです。
つなげるためには、(1)であげた対話が子どもの間でできないと居場所はできません。
ここで、今一度、子どもの問題点をあげなければなりません。「話し合いができない」のです。話し合いの仕方も合意の取り付け方も教えられていないというか話し合いのボディを持たないというのが実感です。面倒くさがり話し合うのを避けるのと誰かに何とかしてもらおうという人任せの気持ちが強いのが現実です。この子どもたちが、話し合って合意をつくりだし、みんなで共により良い生活ができたという実感を持たせていくのは益々難しくなっています。
これは、日常的に家庭でも学校でも「話し合う」という当たり前のことが、行われなくなってきていることが大きいのかもしれないと思う今日この頃です。
では、どうしていくのか。ここも原点に立ち返って出発するしかありません。
@「話し合いの仕方」を丁寧に教える。
A「話し合える人間関係づくり」を丁寧に行う。
・何についての話し合いなのかをはっきりさせる。
・どんな活動をつくりだすなかで、どんな集団になろうとしているのかを考え合う。
・活動の中での困難を「どうしてなのか」「どうしていくのか」を話し合い学び合うことを丁寧に行う。
*授業、生活などあらゆる活動に対して「話し合い」「対話」を位置づけ、説得と納得の関係をつくりだしていく。
*これは、関係性の指導、自主性の指導、そして、合意形成の指導です。
ここまで、「子どもとつながる」「子どもと子どもをつなげる」ということで書いてきたわけですが、私たちの集団づくりは、ただ、話を聞くために子どもと対話をするわけではありません。「集団を見るためには個を見ないと分からない」「個を見るためには集団を見ないと分からない」という視点で話をするわけです。その関係性を変革させていく中で自治的な集団をめざしているのです。集団を自治的な集団にするのは、個の自立がなければなりません。個の自立がないところに集団の自治はあり得ないという弁証法の論理に立っているのです。
(3)学年会を定例化し、話し合い・学び合いの場にしていく。(教師の居場所づくり)
@困っていること、自慢できることを気楽に交流できる場にする。
A原案を出し、積極的に活動を提起していく。
B合意を大事にして進めていく。
Cできることから出発していく。
(4)保護者とつながる。
問題を起こした子の保護者、閉じこもりがちな子を持つ保護者は、みな孤独です。声をかけるところから子どもとつながるのと同じように接していくことです。子どもの変化を通じて保護者も教師の味方に変身するものです。
以上、「ここで共により良い生活をしようという願い」を育てるために必要な4観点を述べました。苦しいですが、この教育の原点に立ち戻ることが、私たちの明日の教育を切り開く鍵になると考えています。組織にこだわらず、子どもと子どもをつなげ、教師と教師がつながり、その中で対話を広げていくイメージがこれからの実践にますます必要になると考えます。
4,2005年度の実践と私たちの課題
では、3にあげた4観点から岐生研に提出された2005年度の実践を見てみましょう。
(1)山内実践「小2:心の成長をじっくり待って〜学校・スクール相談員・ほほえみ相談員との連携〜文化活動で交わりを深める〜」
分析会の後の山田綾さんのメールを分析会と実践の課題を見る視点にしたいと思います。
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・・・山内さんのレポートは、子ども関係性(クラス内外)について、注目すべき事
としてほとんど綴られていませんでした。そのことが生み出してしまう意味を考える
必要がある、と言いたかったのです。分析でも、山内さんにそれを問うことがあまり
ありませんでした。書かれていないから・・・。結果として、家族や母子、教師と母
の関係に話が集中していたように思います。山内さんに伺うと、美咲は仲良しグルー
プとはバラバラになり、クラスに仲良しはいなかったこと、それゆえ山内さんはクラ
スの子どもたちの働きかけではうまくいかないと見通しを持ったこと、しかし、クラ
スでも美咲が属することができる班を班長立候補?で準備して、美咲をむかえる準備
を進め、美咲が学校に来る時は校門まで迎えに出る班長と班員をしっかり準備してい
たこと・・・など、がありました。でも、書かれず分析でも触れられませんでした。
さらに言えば、クラスの違う仲良しグループの関係を読み解く必要はなかったので
しょうか。子どもの(不登校など)アクティング・アウトが何を表現しているのかを
検討する時に、子どもの関係が語られないこと、読まれないことがもたらしてしまう
意味を私は指摘したかったのです。結果として、分析は、母子や家族の関係、あるい
は母と教師の関係が中心になり・・・それはつまり、不登校の問題がそうした事柄と
関係することと見なされ対応もその範囲で検討されることになります。
教師も分析者も母親も相談員たちも子ども同士の関係性とともに、教師と子ども、
子どもと母親・家族の関係、さらには相談員との関係の事実を明らかにする必要があ
るのではないか。近代家族に閉じこめられ、母親に重責を背負わせる子育ての新たな
時代が到来する、と思うのです。
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クラスの中に、不登校の子が「安心できる場所」をつくりだしていくことが担任の仕事。母子関係の中だけに問題を解消しないで、積極的にクラスの子どもたちに働きかけ、いっしょに居場所づくりをしていく働きかけが必要であったと、今思います。
不登校の子に対して、どう実践を構築していくかを幅広い視点で描く「構想力」「実践力」が求められていることが山内実践から読み取れます。
(2)「康仁が学校に来られないのは?」が佐藤レポートとして報告された。
康仁の家族は、「両親と祖父母、年の離れた姉2人。そして、康仁はかなり年の離れて生まれた待望の男の子」です。目の中に入れても痛くないほど、みんなに保護されきって育てられたのだろうと推測さます。家族にとって多大なる期待の星としての存在なのです。その生育歴は、ぜひ父母を交えながら聞きだしてみたいものです。
勉強に対して執着するのは、家族の期待がそこにあらわれている反映と捉える事ができるでしょう。IQ140を越え、進研ゼミを行い、勉強(テスト)ができることが彼のアイデンティティとなり支えともなっているのかもしれません。
しかし、生育歴の中で、「小さい時から母親が彼がやる前に先にやりすぎていた」こともあり、自分の力で障害を乗り越えていく力、周りに働きかける力にやや劣るのかとも思われます。周りの目が気になるのとは逆に、給食を残してよいのかが言えない康仁の姿に何でもやってもらっていた康仁と過保護すぎた母親の姿がだぶるのです。
担任の佐藤先生は、学校に来ないことはいいが、昼夜逆転の生活はいけないというスタンスです。学校の教師としては、願いとしては分かります。しかし、カウンセラーからの「学校に行きたければ本人に行かせればよい。」そう言われて不安で夜眠れなくなり・・・という場面を見ても「本人に選択させて決めさせよう」というスタンスとはずれています。今まで、母親が先回りをして決めてきてしまい、自分の思いで物事を決めなくてもすんだ彼に必要なのは、自己決定なのでしょう。自分の思いを持ち、人に伝え、実行する。それをしても大丈夫な空間と時間を与えられること。勉強ができなければいけないという強迫ではなく、勉強をするいい子ではなく、自分がどうしたいのかを自分で決定できることが大事なのではないかと思います。
そんな中、康仁が自分から積極的に参加するものが部活です。部活のためだったら、8時以前にも学校に来るのです。これは、彼が自分からのぞんでしていることです。しかも、テニスは一人では出来ないスポーツです。相手がいてはじめて乱打もできます。ボールを通してのコミュニケーションができるのです。土・日は早く起きるとも書いてあります。これを書いている私がテニスを学校の部活で指導していることもあるのかもしれませんが、テニスに一生懸命になっている康仁を放っておく手はありません。部活仲間との関わり、働きかけを部活の顧問から聞き出す、あるいはお願いすることもできるでしょう。
また、9月26日。『帰りの会が終わってから学校に来た康仁に対して「康、おそいわー。すっごいまっとったんやよー!」「遅すぎるぞ」と少し笑いながら言う。何となくいい雰囲気を感じた。』康仁に働きかける優しい雰囲気を感じる佐藤先生。仲間がいます。ここにもこれからの実践を進めていく上でのリーダーとなっていくであろう子どもの臭いを感じることができます。
もう一つ、康仁の得意なことは数学です。この数学の力をクラスのために使い子どもと子どもの関係を作り出せなかったでしょうか。「康仁数学教室」とか名前を付けて、康仁が活躍できる居場所を作り出してやることが関係性をつくり出す上で考えてもよかったことではないでしょうか。
(3)「英夫と集団づくり」<小2>(益田川実践)から『子どもと子どもをつなげる』 実践を学ぶ
小学校2年生の英夫。1年生の5月終わりに転校。1学期はたまにケンカがあるぐ
らいで、表面的には特に気になることはなかった。学力は高いが、文字は丁寧に書け
ない。体格はやせていて、か細い声で話をした。後片づけができなかった。
2学期の9月半ば、「英夫君が何回もアウトというでいや。」和代が教室へ入るや
いなや泣きながら叫んだ。英夫も戻ってきたので、わたしは声をかけた。「何回もア
ウトって言ったの。和代さんの言うことも分かる。何回も言われるの嫌だよね。」英
夫は首を縦に振った。わたしが、「そのことは、英夫君が悪いね。でも、英夫君はわ
ざと言ったんじゃ・・・」と言いかけた途端、彼は泣きながらこちらを睨み、机をひ
っくり返し椅子を蹴飛ばした。ドシーンという音。教室中が一瞬シーンとなった。彼
はうつむいて立ち、歯ぎしりしながら足で床を踏みつけた。間をおいて、「英夫君は
悪くない。きっと訳があるよね。話してみ。」とわたしは声をかけてみた。少し落ち
着いた感じがしたので、「一緒に戻そうか。」と言うと彼は頷いた。和代に言った訳
を聞いたが、それは話せなかった。
2,3日して健一が泣いてわたしの机の所に来た。英夫に蹴られたのだそうだ。久
喜がわたしの膝の上(彼の居場所の1つである)に座っている。英夫に蹴られたこと
は嫌だけど許すという健一と、けった訳を考えようとする久喜。わたしは、健一や久
喜なら英夫とつながることができるかもしれないと感じていた。
10月半ば、英夫がすねて泣いていた。わたしは「おんぶして給食。」と背中を差
しだした。英夫は背中に張り付くように乗った。「食堂へ出発。」とわたし。くすく
す笑う英夫。それから、わたしの膝に乗ったり、おんぶをせがんだりする場面が増え
ていく。
10月終わり、英夫の「僕は遊ぶ人がいないの。」のつぶやきから「遊ぶ会」が誕
生する。メンバーは、英夫、浩介、久喜、健一である。約束は相談して遊びを決める
ことである。その日から、放課後を使って遊びが行われていく。英夫は嬉しそうであ
る。
また、時として「ぼくが悪い。」と言う英夫に、自分の良さに気づかせたいと思い、
得意の九九で、暗唱の仕方を班の子に教えさせた。英夫はとても意欲的に取り組んだ。
11月の終わりの放課後、英夫が遊びを決めてしまうことで「遊ぶ会」会議を開い
た。
久喜「この頃、英夫君ばかり遊びを決めている。」
健一「英夫君が勝手に決めることがある。」うつむいて泣き出す英夫。
健一「英夫君の訳わかるよ。自分が遊びたいように遊んでもらいたいから。だから、自分で決める。」
久喜「ぼくもそう思う。英夫君、そう。」首を横にふる英夫。
健一「違うかー?でも、そうだとぼくは楽しい時もあるし楽しくない時もある。」
久喜「ぼくもそう。」
浩介「ぼくは、英夫君が決めてくれて、知っている遊びばかりだし楽しいよ。」
わたし「なるほど。浩介君はそう思っているのか。でも、健一君や久喜君は可哀想やなあ・・・。」と突然、泣いていた英夫が顔を上げて言った。
英夫「決める人を交代したら。健一君はどう。」
久喜「それはいい考えだー。うん、いい考えだー。ぼくは感動したー。ウエーん。」 泣くまねをしながら叫んだ。
健一「嬉し泣きや。」笑うみんな。
健一「ぼくも、それならいい。賛成。」
わたし「でもね、英夫君の嫌いな遊びを決められるかもしれないよ。どう、英夫君。」
英夫「今まで他の子も嫌なことあったから、(ぼくも)大丈夫。」
健一「1年生の英夫君はそういうことなかったよ。泣いて怒るだけ。」(興奮気味に)
わたし「英夫君、どうしてそう思えるようになったの。」
英夫「先生が知恵を出すこと教えてくれたから。」
わたし「へー。そうなの。」
久喜「ぼくは感動したー。ウエーン。」再び泣くまねをする。笑うみんな。
わたしは、帰りの会でその様子を紹介した。子どもたちから「すごい。英夫君」「の
びたねー。」「変わった。」などの歓声や拍手が起きた。英夫は、はにかみながらも嬉
しそうにしていた。
その日から、彼らは遊びを交代に決めて遊ぶようになっていた。
生活指導3月号の益田川実践です。この実践を東海北陸地区セミナーで学んだ石川の徳井先生から届いたメールを紹介します。
分科会の益田川さんのレポートでは、集団づくりの基本をシンプルに分かりやすく
学べました。益田川さんの背中は子どもたちにとって、緊急避難場所でありセーフベ
ース。今までセーフベースとは安心してそこにいられる空間・・・と思っていたので
すが、その「安心」の中味は、トラブルを起こす「悪い」自分をも対等に遇してくれ
る他者がいるんだと実感できる・・・ということなんだ・・・と考えました。そして、
遊びの会は、安心していい相手は先生だけじゃないんだ、友だちを他者として実感で
きる学びの場だったと思いました。さらに、子どもたち自身が求めていた子ども世界
を自分たちでつくりあげる術を学ぶ場所だったと思います。
益田川さんと子どもたちの合い言葉である「やくそく」と「作戦」は、自分たちの
夢や願いを実現するためにこそ必要。それを子どもたちはいろいろな場で言語化しつ
つ自分のものとしていると思いました。
集団づくりとは、子どもたちの必要感を自覚化させながら自分たちの発達課題を共
有し(山本先生の基調の言葉で言えば公共的課題を共有し)そのためにはどうすれば
夢が叶うのかを子どもたちと一緒に実践していく営みだと再認識しました。だからこ
そ、学び(授業に限定されない)が実践の要だと思いました。
全体レポ(佐藤実践)では、「不登校」を子どもの個人的な問題と見ない・・・冷
静に考えると当たり前の原則がとてもはっきりして気持ちよかったです。
学校が子どもたちにとっての「暴力装置」となっている・・・競争に追い込み、せ
きたて、囚われる子どもをつくっている・・・ドキッとしました。その生きづらさを
公共的な課題(みんなの課題)として子ども自身の手で子ども世界を立ち上げていく
・・・その視点は、見事!胸のつかえがおりました。教室に「あじさい」(不登校の
子らが通級している場所)をつくる。不登校の子から今の学校や社会を問い直す。私
たちが見えなくなっている学校の暴力性を不登校の子から学んで訊きだして、学校に
来ている子どもたちにも投げかけつつ、子どもたちの違いを承認できる空間に変えて
いく実践の方向性がすごく見えてきました。言ってみれば当たり前のことなのに目の
前の生活の中で見失いがちです。
話し合いが、学ぶ場、知恵を出し合う場、そして、英夫の新しい変化を発見する場になっています。それを、クラスに広げる中で、認め合える仲間関係に発展しています。
対話と活動の中から「ここで共により良い生活をしようという願い」が育っています。こんな場面を子どもとつくり出したいという願いで私たちは教師をしています。班の中で、学年執行部の中で、学年会などの中で「英夫と集団づくり」にみられる場面を今年度私たち岐生研の実践としてつくり出していくことが課題です。
この「英夫と集団づくり」は、岐生研の「春の1日学習会」で報告されるレポートです。「班・核・討議づくり」の視点からみたら、益田川実践はどう分析できるのか?楽しみです。お互いに学び合いましょう。
さあ、みなさん、健康に留意して実践の一歩を踏み出していきましょう。そして、それをレポートにしてみんなで学び合いましょう。現実は厳しいです。うまくいかないことが当たり前です。うまくいかなかったこともレポートして教訓をつくり出していくのも、挫折ではなく前に進んでいくために必要ですね。
(文責:岐生研全国委員 稲垣 勝義)
基調提案によせられた感想・意見---------------------------------------------
「ここ」にある生活をどう豊かなものに変えていくか、という視点は大切だと思います。これが、生活指導の原点ですから。
@だとすれば、「班・核・討議づくり」の原点もここにあるはずですが、・・・それは、どのような集団観、民主主義観にもとづいていたかを吟味する必要があるように思います。
Aこの点ともかかわって、なぜ、岐生研の実践に<学び>の側面が弱いのかを検証する必要があるでしょう。自他の生活現実を読み解き、読み開くような学びを集団の中に立ち上げなければ、自治も形式的なものになってしまいます。こうした観点から、佐藤実践の意義と課題をおさえてみてはどうでしょうか
(照本さん:中京大学)