2007年度 岐生研 基調提案

教師が学級・・・学年集団のヘゲモニー(主導権)
をとるまでの指導を明らかにしよう!


1,上から下への強制が社会全体を覆う現在

 強引に教育基本法を改悪し、国民投票法案を通す。行き着く先は、9条を変える新憲法づくり。再び戦争できる国へとしゃにむに突き進む日本。新教育基本法案に関して教員の声を聞くこともなく、国民投票法案に関して国民の声を聞くこともなし。政治家が数の力にまかせて勝手に進めてしまう日本です。しかし、この「我々の代表者」を選んだのも日本国民なのですから自業自得と言えばそれまでなのですが。法案の本質を誤魔化し、知らせないままに決めてしまうその手口は許せません。知らないうちに手も足もがんじがらめになって、『再び教え子を戦場に送る』ことになってしまいかねないのですから。
 
 かつての戦争で日本が手に入れたものは、日本国憲法だけ。その憲法がぎりぎりの崖っぷちに立たされています。我々を身動きできないようにして、上から下への力づくで強引な攻撃のやり方がきつくなってきています。行政は、教育条件の整備のみを担うはずなのに、教育内容への口出しは当たり前で、教育内容にきちんと従わないものは処分するとまで言う。戦前の教育そのものに近づきつつあります。

 また、「競争」こそが、活力を生むという新自由主義の考えが、こともあろうに教育の場にそのままおろされてきています。教師も上からの覚えめでたきものはSランク、上の意向に沿わないものはDとランク付けされ、いよいよ岐阜県でも給与の差別支給が始められようとしています。教員現場の声を聞いた上で、この差別給料=競争のほうがいいというなら、まだ話は別ですが、何も聞かないままの上からの命令です。すべて上からの指示に従って効率よく仕事をこなす教師がいいと言うわけです。上からの覚えめでたき優秀な職員がしでかしたのが、岐阜県の裏金問題ではなかったのでしょうか。上からの指示にダメなことはダメと言える者こそ道徳心に富んだ愛国者、愛県者、愛校者だと思うのです。

 「教育は、競争ではなく共同だ!」ということは、現場の先生なら誰しも分かるもの。競争で自分だけよく思われようなどという職場になったら、教師それぞれの個性を生かした実践、ぬくもりのある職場などできるはずがありません。

 下からの声をまるで聞かない。これが今の教育改革の特徴です。教室では、教師の言うことに何も言わず素直に奴隷のように従う子どもがいい子どもということになってしまうでしょう。戦争に行けといわれたら、何の疑問も持たずにお国のために!これではもう戦前の教育です。騙されない教育・人権を重んじる教育は、自由・平等・博愛の精神を生んだ近代から現代に、そして将来へと受け継がれるべきものです。下からの声を上げること。下からの声を聞き取り、上下関係ではなく横の繋がりを創り出していく共同こそ教育の目指すべき方向であることをまず確認しておきたい。
 

【生活指導教師の実践課題 その1】

 子どもが荒れる背景・教師が息苦しい背景にある社会情勢を確かな目で見つめ、学校を含めた社会をより良くしようと闘うこと。
そうすれば、子どもの問題現象の分析も、子ども集団への指導の方向性も今までより見えてくるはずである。


2,いじめは、横の繋がりのないところに生まれる!

メモの全文(××はチームメート4人の実名)

皆さんへ
今、誰かが私の手紙を見ている時、きっと私は死んでいるでしょう。
この忙しい時に御迷惑をおかけします。
  今まで、私を愛し、育ててくれた家族、ありがとう。
  今まで仲良くしてくれた友達、ありがとう。じいやん、がんばって早くよく
  なってね。部活のみなさん、特に××さん、××さん、××さん、××さん、
  本当に迷惑ばかりかけてしまったね、これでお荷物が減るからね。
もう何もかもがんばる事に疲れました。
それでは、さようなら。

 なぜ、私たちはこんな事になる前に気づけなかったのでしょうか。SOSをキャッチできなかったのでしょうか。

 事件後の学校の責任逃れとも思われるような事なかれ主義の対応はさみしいものでした。上からの指示に従うだけで、生徒の自己判断能力を育てるべき教師が自己判断できないという惨めさを感ぜざるを得ないものでした。

 「二度とこんな事件を起こさないような学校にしてほしい。」これが遺族の願い。この声に応えて誠実に対応し、いじめのない学校を目指していく姿を教職員集団が子どもと共に創りあげていくことこそが、学校がとるべき教育実践ではなかったのでしょうか。それこそが亡くなった生徒と遺族に対する謝罪にもつながることだと考えます。

 校長が変わり、学校の方針が180度変わったようです。

 しかし、ここにこそ教師が置かれている状況があらわれているような気がします。

 上が決めた方針には逆らえません。意見を挟むことは職場の空気を気まずいものにしてしまうのです。上の方針に従って、黙々と仕事をこなしていくことに精一杯なのです。子どもの心を理解し人間関係の悩みに耳を傾ける時間も余裕もないところに教師の日常は追い込まれてしまっているのです。このままではいけないという教師としての良心はあっても、その心を共有するための職場での話し合いも相互批判もできなくなってしまっています。

 それはなぜか。上に意見しようものならにらまれてDランク教師と評価される現在です。国や県が行おうとしている教員統制がずっと前から真綿のように岐阜県の教育現場を締め続けてきた結果ではないでしょうか。上には逆らわない。いや、逆らえない。これが現実です。この今という時代を生きている教師としての息苦しさを感じさせられる現実です。

 でも、改めて考えてみましょう。大いに意見を交流させ、合意を形成し進んでいく。これが、個の尊厳を大事にする日本国憲法の下での教育ではなかったでしょうか。いや、過去形にしてはいけません。まだ、日本国憲法下の日本です。授業でも活発で様々な意見を出せる子ども集団こそが力をつけていきます。授業研究会ではこういう姿を目指そうと言いながら、自分たち教職員集団では、意見の交流ができない。これでは、いけないでしょう。

 いじめは、集団の力が弱いから生じることが多いのです。正義を通す討議や討論ができない集団の中ではいじめが育ちます。教職員集団が討論・意見交流がなされない集団ではいじめは見逃されます。上からの命令・指示だけを気にしている集団では、下からの子どもの声・職員の声は消し去られてしまうのです。「共同の世界」は築かれず、教育論文で何賞をとった事が評価の対象となる「競争の世界」となってしまいます。

 いじめの問題は、所属する子ども集団・教職員集団の問題です。従って、「集団づくり」こそが、いじめ克服の一番の手だてです。いじめた子が悪い子と一方的に決めつけて罰しても何ら問題は解決しません。いじめた子は、前にいじめられていた子なのかもしれません。子ども分析を通して子どもが置かれている現状を共有するのは、教職員集団としての出発点です。ここから、始めるしかありません。

 だから、安倍首相の諮問機関の教育再生会議が出した「いじめ問題緊急提言」の、いじめた子どもを厳罰化?見逃した先生も厳罰化する?なとどいうことは、現場にはとっては全く意味のないものであるし、何の解決にもつながらないものです。

【生活指導教師の実践課題 その2】

 職場で積極的に子どもの事実を話し、上からの命令ではなく、下からの共同を創り出
していく。実践での共同を創り出す先頭に立つ。その合意づくりの先頭に立つことが
学校づくりのヘゲモニーをとることにつながる。ここでの同僚性の形成こそが、直接
学級・・・学年づくりのヘゲモニーの獲得に繋がる。


3,生きづらさの中にいる子どもたち? → 壊れていく子どもたち?

 友だちを失いたくなかった。何を言われても、相手に合わせれば自分と付き合って
くれる。そう思ってた。やるごとにどんどんどんどん自分が汚れていく。そんな気が
した。先生やお母さん、友だちにウソをついた。偽りの言葉がどんどん出てきた。や
ったことを話せば友だちに責められる。そう思ってた。でも、本当はそんなんじゃな
かった。自分の汚いところを見られたくなかった。自分の周りをウソでいっぱいに固
めて誰も自分の心に踏み込めないようにした。自分が傷つきたくなかった。
 でも、ウソに何の意味もなかった。その時にだけしか通用しなかった。みんなやっ
たことを話していた。ショックだった。簡単に自分のことを話されていた。結局、自
分は傷ついてしまった。先生も傷つけた。もう、どうしようもなかった。どんどん泥
の中に埋まっていった。こんな自分、嫌だった。生きている意味がないんじゃないか。
死んで最初からやり直したい、そう思ったりもした。
 でも、お母さんは、「自分が悪いと思っているのなら別に何も言わない。」と言っ
てくれた。嬉しかった。普通の親ならもっと怒っていると思う。でも、お母さんはそ
んなことしなかった。自分の味方になってくれている人がこんな近くにいるんだとは
じめて知った。また、自分が汚いと思った。
 取ってしまったのは悪いけど、今度はちゃんと自分の意志を持って友だちを失って
もいいから「断れる勇気」を持ちたい。ウソをついてしまってごめんなさい。
                       (R子の生活ノートから)
 中学2年生。万引きをしているとの話が担任に寄せられ調べてみると関係者女子7名。中1の夏からはじめた子ども〜今年の春休みに誘われて万引きをはじめた子どもまで幅広いものです。この中の4人は、事情聴取の中で、はじめは「仲間の目」を気にして本当のことを話しませんでした。しかし、万引き仲間をかばうことが本当に自分と仲間の幸せに繋がることなのか?悪いことをしたという心が本当にあるなら真実を話すことが再出発のスタート地点に立つことになるという話から、やっと真実を話し始めました。問題は、残り3人。

 子どもたちは先生に呼ばれる前に「口裏合わせ」の会議を開いていました。だから、自分だけ裏切れないのです。この中で、家出の相談も行われました。家出をして1日目の宿泊地は○○、2日目は○○→2日目に出てくるという作戦で。「心配かけてごめんなさい。」と謝ればお涙ちょうだいで万引きのこともすべて許されるだろうという計画なのです。

 金曜日に実行。父親たちは、すぐに捜索願を出し公園から駅まで夜通しというくらい探しまわりました。日曜日に出てくると予想はしていましたが、本当に日曜日の夜19:30に犬山署から補導したとの連絡が入りました。そして、校長・生徒指導・学年主任・担任の4人で事情聴取。万引き旅行とでも言っても過言でないくらい2日間とも万引きをして過ごした2人。服・食料・自転車などなど。しかし、2人とも絶対に家出の計画性を認めないのです。2人を離し、別々に事情を聞く中で、4時間後くらいにようやく一人がその計画性を認めました。まるで、教師は検察官(校長曰く)。万引きの件も都合のいい所しか認めません。都合が悪くなると泣き叫ぶといった具合なのです。

   なぜ、過ちを認め真実と向き合えないのか?

 これが、理解できないと共感的に子どもと接することができません。

@万引き・家出がゲーム(遊び)と理解され、悪いことをしたということが認められない?

A万引き・家出は悪いことだと頭では理解できるが、万引き仲間を「裏切れない」という
 悪の結束力の磁力から出られないのか?

B万引き仲間でも裏切ると「一人ぼっち」の孤独になってしまうことを極端に恐れている
 からなのか?


 万引き指導を通して@「子どもから事実を聞き出す」 A「何が悪かったのかを子ども ・親・教師で確認する」 B「謝罪の旅に出る」 C報告(担任→学年主任→校長)をし て再出発をする。周りのものは見守って励ます。という過程を通して子ども・親・教師で の信頼関係を創り出すことが課題です。また、これによって、ヘゲモニーをとることがで きます。

 何なのだろう。見た目には、大人をも嘘で誤魔化してその場逃れをしようとしているとしか見えないのです。親を騙し、教師を騙し、自分の行った過ちに向かい合えない実態。荒れるには何らかの理由があります。そこに共感して指導を組み立てるという筋道が見えてこないのです。

 昨年度の井深報告では、荒れる中学生の姿が報告されました。個人指導は丁寧に行われていくのですが、集団での学校喫煙・人間らしくない給食時間、掃除時間など、集団的反抗行動で学校的秩序を壊している。教育的管理すらできない状況が噴出しています。

 R子の日記の中に今の子どもが置かれている状況が、端的に表れています。「友だちを失いたくなかった。何を言われても、相手に合わせれば自分と付き合ってくれる。・・・」

 恐れているのは、他者から徹底して切り離される孤立状況であり、この孤立状況を外部に訴えることができない閉塞状況である。R子だけではなく、万引きした子どもたちみんなが同じ事を言うのです。友だちを失って孤立するより、その場に乗って万引きをしてしまうという過剰な同調は、それだけ人間関係がよそよそしく窮屈になってきてしまっていると捉えることができます。R子は、万引きが発覚し、それを母親に話すことを通してほっとできる場所をはじめて見つけたのです。最も身近なところに。そして、新たな出発をしようと決意をします。

 では、私たちの実践課題は何なのでしょうか?

 万引きという犯罪を同調して行わなければならない人間関係から、「そばにいるとほっとして互いに安心できるような関係」につくりかえていく集団づくりをすることしかありません。どの子にとっても安心できる「居場所づくり」という表現を全生研でもしてきました。

 そばにいてほっとできる条件は、互いの尊厳を認める関係でいられることです。従って、暴力的・差別的関係を許さないことが、どのような他者との間でも貫かれなければなりません。  

【生活指導教師の実践課題 その3】

  子どもから真実を聞き取り、明日への課題を共に共有するための力をつける。

4,集団の合意を創り出しながら「ヘゲモニー」をとる手だてを明らかにしよう!

 子どもと教師の個人的な信頼関係が築けないほど、子どもが傷ついて(大人を信頼できない?)育ってきてしまっていると捉えた方がいいのかもしれない。その関係性を問いながら自分たちで自分たちの集団を自治する力もつけていかねばならない。その指導は、子どもたちとの合意を取りつけながら進めていかなければ、上からの押しつけとなり管理主義に転化します。

 どんな目標をもつのか、その指導をどうするかなどの合意をどんな提案に基づいて子どもたちに投げかけるのか。そこを出発点にして、教師の指導がどうヘゲモニーを確立していくのかを今年度は明らかにしていきたい。

 この集団指導が行われていないため、いつも注意するのは教師で、子ども同士の関わり合いが育てられないのです。ひどい時には、教師一人が孤立し全く正義が通らなくなり無法地帯となってしまうのです。すなわち、下の構造表でいうと「出会い段階」から「自治的段階T(寄り合い期)」にかけての教師のヘゲモニーの確立(集団の合意と支持)までの道筋を実践的に明らかにすることが今年度の岐生研の課題です。教師の指示が通らない子ども集団に対して、いかに切り込み合意形成をはかっていくのか、そのために教師集団でどう合意をつくるかということが課題になってきます。


学級集団づくりの筋道(学級集団の発展過程と段階)<千生研のものを参照>

班づくり リーダー(核)づくり 対話・討論・討議づくり












・子ども、学校の現実に
 応じて班をつくる。

・そこでの活動が子ども
 自身のものになるよう
 にし、教師の働きかけ
 でこんなに楽しい生活
 になることを実感させ
 る。
 (親密圏の形成)

・分かる授業の確立
・どんな形であれ、班長
 になったものにリーダ
 ーとしての役割を与え
 ていく。

・そこでの評価を大事に
 しつつ、リーダーの発
 見に努める。
   (評価の順序性)

・その際、応答関係を築
 く事を重点に指導して
 いく。
・語り、聴く関係をとり
 わけ大事にする。
 (対話的関係の重視)

・「共感」をベースに受
 容し、要求を丁寧につ
 かむ。
(応答関係の編み直し)

・子どもの問題は子ども
 に返しつつ、教師の価
 値観をそっとぶつけて
 いく。





T
・親密なグループから共
 同グループの発展を意
 識する。その際、班の
 役割を重視する。
   (班の発展)

・班、グループ間の批判、
 援助が生まれる。
・自他の観察分析をしあ
 うようになる。
・教師と共に集団にあた
 るリーダーをつくる。

・生活現実を共に読み開
 く思想的対話を進める。

・教師と共に班長会は学
 級を分析、要求に応じ
 た取り組み案を教師と
 共に作成、提案する。
    (原案提出権)
・分からないこと、不利
 益には意見を言うこと
 を教える。

・自分たちで決めたこと
 は守ることを教える。
 みんなが守れない内容
 については柔軟な決め
 方をする。
  (原案の討議)





U
・班、グループの取り組
 み領域を拡大する。

・グループの公的課題に
 挑む活動の広がり。

・地域活動への参加が見
 られる。
・班長会による班編制T
・リーダーの個人的自覚
 を持ち、仕事の困難さ
 を認識した上で立ち上
 がってくるリーダーが
 現れる。

・課題を抱えた子への日
 常的な取り組みが始ま
 る。
・「自己変革」の重みが
 理解されてくる。

・他者認識、自己認識、
 集団認識が深まってく
 る。

・対話、討論のテーマが
 多様になってくる。





V
・班長会による班編制U

・班、グループとは別に
 問題別・課題別に取り
 組みが始まる。

・当事者をこえて、判断
 し、行動に移れる。
・リーダーへの批判や支
 持がはっきり出せるよ
 うになる。

・リーダーとしての自覚
 を持つものが半数近く
 になり、集団が自己指
 導をはじめる。
・集団による支持と拒否
の能力、形式が定着す
る。

・学級外の取り組みを討
 議の対象にし始める。

・リーダー機関に指導
 権、管理権が移行する。

【生活指導教師の実践課題 その4】

   実践を通して構造表を書きかえ、岐生研「構造表」を創りあげよう。