レポートの書き方について

 岐阜サークル  河田秀明 

1. 実践記録にかかれるべきことは、@主題 A実践者の意図・願い B現状認識(子どもの事実) C分析 D分析に基づく指導目標・指導構想 E方針(指導方針・活動方針・組織方針・総括方針) F以上のことを実現するための教師の行動と子どもの行動 G総括(自己評価)などである。

2. 実践記録で重要なものが指導場面である。その場面の記録は、教師や子どもの会話・表情・場の雰囲気などもリアルに書く必要がある。また、記述されている客観的事実に対する教師としての解釈、子どもの作文や会話を通しての子どもの考えなど、教師や子どもの主観的、内的プロセスも付け加えて記述されなければならない。

実践記録の読み方について

1.テーマを読むということ

 実践記録の書き手は、子どもと教師の織り成した事実をなるべく正確に書き出そうとする。しかし、いくら正確に書き出そうとしても、実践のすべてを書き出すわけにはいかない。そこでテーマを決め、それに該当する事柄を実践から切り取り、書き出すことになる。そのことを知っていれば、何を読み取ったらよいのかが分かる。

2.事件と登場人物の動きを読むということ

 書き手は、テーマに合わせ、だれが、いつ、どこで、何のために、何をしたか、ということを詳述する。したがって読み手に要求されることは、指導言やそのこととの関わりで変化していく子どもの現実認識の内容、行動変化の内容など、それを正確に読み取っていくことである。そうした読みを通して、実践の持つ価値の共有を追及するのである。

3. 読み手が課題とすること

@ 実践の意図を読むこと…実践の意図が子どもの人間的な発達を保障しているかどうかということである。実践者の人間に対する理解や社会認識が深ければ深いほど、また豊かであればあるほど、子どもはその指導を通して人間理解や社会認識を深めていくものである。実践記録の意図を読むとは、このような課題を追求することでもある。

A 指導言の妥当性を読む…読み手が指導言に共鳴し、感動を覚えるのは、その実践を紡ぎ出している教師の人間性に共感し、感動するからである。また、子どもの心に届く指導言、それは画一的なものではなく、その子どものその場面における人間に語り掛けるものである。子どもは、私たちの期待通りには登場してこない。それは時に、私たちの予想を越えた意外な人格として登場してくるものである。その意外な人格と交わることのできる実践的な力量を、実践の世界における即興性ということができよう。指導言は、実はこの即興性を十分に発揮した世界として作り出される必要があるのではないか。

B 実践分析は、実践の総合を目指すものである…私たちは、実践が持っている弱点を共有し、実践者と共にその克服の筋道の解明に力を注ぐために実践を分析するのである。実践の共同者として、教えあい・学びあいながら、実践の分析を行うのである。実践分析とは、「共同の力で教育実践を完成させる仕事である」といえよう。そして、実践記録は、これらの分析を通して、価値づけられ、意義付けられて、実践者の存在証明(アイデンティティ)として歴史的に登録されるべきものである。

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 以上は、一般的論です。私個人のことを書き加えると、私(たぶん、みなさんもそうだと思います)がレポートを読むときには「実践者」として読みます。例えば「子ども分析」であれば、自分が「出会った子ども」を思い浮かべながら分析していきます。そして、指導方針や指導場面では、「自分ならどういう方針を立てたか、どういう指導を行ったであろうか」と考えて読みます。そして、自分の方針、指導とレポーターのそれが異なる場合、「その違いは、なぜ、どこから起きてくるのか」を読んでいきます。私が出会っていないような子ども、指導場面であった場合には、今までに読んだことのある実践記録や理論書を思い起こして分析していきます。

追伸・・・「レポート分析」に関わっての詳しいこと(教育実践とは何か等)は、私のHP「ロトの教育」に付けておきました。読みたい方は、そちらを参照してください。

(ロトの教育はこの通信の題字の横にあるhttp//のアドレスを入れて下さい。岐生研のページの中にロトの教育があります。) (上の写真はすいか割り:河田学級)

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