☆新春紙上討論会☆

学校を公共空間として再生する   上村文隆

 岐生研のみなさん、こんにちは。

 今日、子どもたちの問題状況について職員会を持ちました。その中で、例によって職員の共通指導という話になりかけましたので、私が「あるクラスで私語の反対語は何だ?」と聞いたら・・・という話をしました。その結論は「何でもあり」は学校を「私」に近づける考えであり、それに対して「公」的な空間としての学校を再度考えなければいけない。だから、私たちは学校を「公共空間」として再生する必要があるということでした。

 その中で、ある先生は今こそ公教育をしているという自覚を持って、子どもが今はわからなくても指導することが私たちの勤めだということを言いました。また、ある先生は図書館担当だけれど、図書館でトランプをやっている子にトランプをやっても良いのと聞くと、担任の先生が良いといったと言うので注意しようがないけれどどうしたら良いのかという話をしました。

 この先生に対して、ほかの先生とかこの学校とかを基準にするのではなく、公的な空間としての図書館を子どもたちに教えれば良いのではないかと話したのです。端的に言えば、「この図書館では、トランプはいけないよ。」と言うルールを子どもたちと作っていけば良いのだと話したのです。

 これは、竹内さんが言っている「公共空間」を私なりに翻訳したものです。竹内さんは今こそ本当の「公共空間」=人民(ネイション)=学級を創るときにきていると言っていました。

(これからは、職員会の後でおこなった論議です。)

 こんばんは。今日の生徒指導の職員会について一言・・・

 先ほど新聞を見ていたら、NHKが学校から受信料をとる方針だと書いてありました。これまで学校はNHKに受信料を払ってこなかったのですが、これでNHKは105億円の増収になると見こんでいるということだそうです。

 これはどう読んだら良いのでしょうか。家庭でも受信料を取っているから、学校でも取るべきだというなら、学校をもはや「公共空間」として認めていない事になります。つまり、学校をもマスコミの市場にしようということです。私は、「公共空間」の学校が「公共放送」のNHKに受信料を払うのは反対です。しかし、現在の政治や経済は否応なく、学校(教育・子ども)をも市場主義の中に巻き込もうとしています。

 今日話し合ったような子どもたちの「何でもあり」の状況は、この流れと無関係ではありません。子どもたちは「なんでもあり」の市場にすでに巻き込まれているのです。その意味では子どもたちはこの「新自由主義」の犠牲者だと言っても良いのかもしれません。そして、「なんでもあり」に悩んでいる私たち教師もです。この市場化は「公的空間」を「私的な空間」に限りなくしていきます。教育も金儲けの大きなおいしい市場なのですから。

 さて、今日私はこの「なんでもあり」に対して「公共空間」を子どもと一緒につくることが対抗できる(唯一の)道だと言いました。それは、図書館で言えば、図書館という場を子どもたちと一緒に「私的空間」ではなく「公共空間」にしていくことなのです。子どもたちに図書館の役割を考えさせ、みんなで使うルールを作り出す事なのです。もちろんそのルールは始めから与えられたものではありません。

 例えば、上村学級は私の「私的な空間」ではありません。子どもたちの夢を育む場としてのねらいを持ちながら、子どもたちとルールを作り(始めは私が与えたが)、そのルールを作りなおしていきながら「公的空間」として作りなおしているのです。もちろん、うまくいっていません。管理者としての教師を前面に出しながら、子どもたちの部屋にしていくために話し合いや言い合いをしながらルールづくりをしています。そうなった時に上村学級は「公的空間」となるのだと思っています。

 わかりにくい文章になりましたが、今日の職員会はこれから私たち教師が「なんでもあり」に対していくために考えるきっかけとなったのではないでしょうか。

    「私的」「公的」   川村 明

 こんにちは。上村先生のご意見を聞いて(読んで?)の私の思いを書きます。「私的」「公的」の話についてですが、実は私、H中学校に来た年、学校で菓子を食った生徒にこの公・私の話をした覚えがあります。内容は次の通りです。菓子を食うことは悪いことではない。だけど、学校で食うのが悪い。それはなぜか?学校が公の空間であるからだ。家にいるときは私的な空間を過ごしているわけだから、菓子をどれだけ食べようと、どんな格好をしていようと、人に迷惑をかけることはない。だから、裸でいようと、寝そべって菓子を食っとろうと誰にもしかられることはない。だけど、一歩外に出たら、私的な空間でなくなるわけ。それをはっきりさせるために法律とかマナーというものが生まれだした。例えば裸のまま外に出たら、猥褻物陳列罪という犯罪になるし、ホテルなんかでは浴衣のまま自分の部屋から出ることは許されていない。学校というのは家の中ではない公の場所。生徒会でお菓子をなくそうという動きがあるのに・・・・・というような指導をしました。書いているうちに何を言いたかったのか忘れてしまいました。

 とりあえず思い出したらまた送ります。ご意見をお願いします。

   「共的な空間を作る」    上村文隆

 川村さん。さっそくの御返事ありがとうございます。こういったやり取りができることがメールの良い所でしょうね。アフター職員会というところでしょうか。しかも、かなりレベルの高い話になっています。

 さて、私は川村さんが子どもに説得した公的な空間である学校という説得に賛成です。見事な説得だと思います。でも、(きましたね。)今の子どもたちは公的なものに対して反発があるのではないでしょうか。子ども達は、公的なものは私的なものを縛るかたぐるしいものと思っています。そこに今の子どもたちの指導を受け付けない面が現れているのだと思います。

 それは大人の政治不信やマスコミや消費文化から来ていると思います。また、学習自体が(学校で学習していても)私的な勉強になっていることにから、学校を公的な空間と自覚していないのではないでしょうか。もっと言えば、今の子どもたちには私的な生活はあっても公的な生活はないのではないでしょうか。(ちなみに、私的な空間は私たちにとってとても大切ですが。)

 そこで、今の子どもに対抗する私の公的な空間作りは、もう一度公的な空間を創るために「共的な空間」を創ることから始めるということです。またまた変な言葉を書いてしまいましたが、共というのは共同の共です。公と私を結ぶものとして、共という概念を入れるのです。例えば、学校給食は公です。レストランで食べるのは私です。近所の人と集まってバーベキューなどをするのは共です。

 つまり、公(学校)を子どもたちが自分達のものということを認識するようになるために、共同の活動や共同の空間を創り出す事なのです。そうすれば、「それをはっきりさせるために法律とかマナーというものが生まれだした。」ことを自分たちの生活にとって必要なこととして自覚できるのではないでしょうか。

 私たちは、日々子どもたちと「共同の生活」を広げながら、みんなと生活する時のルールを考え、それを子どもと契約し公的な空間を創っていくのではないでしょうか。

   「学校=公」?「学校=共」?      河田 秀明

 いやぁ、上村さんの川村さんへの返答は、実に見事ですね。「公、共、私」の関係を的確に位置付けて、私たちが作りあげるべき実践の方向を見事に提起していると思いました。

 そこで、そこに、私流の解釈を付け加えて述べたいと思います。

 歴史の流れを見ると、中世には「共」の世界が結構あったのです。しかし、ルネッサンス期が生み出した「自由へのあこがれ」は、中世の封建制から人々を解放していくのですが、一方で近代の「国家主義」という「公」の世界に囲い込まれていったのではないでしょうか。その「共の世界」から「公の世界」への転換が極めてドラステックに展開していったのが「日本」だと言えるでしょう。そして現在は、この「公」の世界を「古い鎧」として称して、徹底的に市場化するするなかで、「私の世界」を広げようと登場してきたのが「新自由主義」なのだと言えるのではないでしょうか。子どもたちは、この「新自由主義」の思想をそのボディに染み込ませて育ってきているので、上村さんが指摘するように生活のすべてを「私の世界」としてしか、とらえられないのでしょう。ですから、子どもたちにとっての学校は「公」の世界ではなくなって「私」の世界であるわけです。しかし、教師は一般的に、学校を「公」の世界としてとらえているので、さまざまな「すれ違い」が起きてきているのだといえるでしょう。ここまでは、上村さんの論調とたぶん同じだと思います。しかし、じゃっかん上村さんとニュアンスが違うのは、

>「つまり、公(学校)を子どもたちが自分達のものということを認識するようになるために、共同の活動や共同の空間を創り出す事なのです。」

 という部分です。私は「公」の世界にあまりいいイメージを持っていないので、「学校=公」というとらえかたを持っていません。つまり、そもそも学校はその誕生から「学校=共」だったのだと、とらえているのです。それを近代が「公」にしたところから、問題が派生しはじめたのだと考えています。世界の中で最初の学校はイスラムの世界だったと思いますが、それは長老が自分たち部族の歴史と知恵を授ける場として誕生したのではなかったでしょうか。そして、日本の初代の学校は、新潟で設立された私学校=「貧困や戦争で、孤児となった子どもの保護と育成をする場」として誕生したのではなかったでしょうか(これらは、いずれも私の不確かな記憶に過ぎませんのではっきりとはしていません)。だとするならば、そもそも学校は「共」であったのだと思うのです。ですから、「公」へ橋渡しする「共」とか、「公」の中における「共」という発想ではなくて、本来の「共」としての学校を子ども・教師・地域住民の共同で再生するというスタンスで、私は実践していきたいと思ってます。いかがでしょうか?

  「官と公と共」   上村文隆

河田さん、岐生研のみなさん、こんにちは。

 鋭い所を突いてきたと感心しています。実は、私の提起は学校を本当の「公共空間」にしていくということです。ですから、学校の公的な面を再構築するという論調になっています。学校の公的な面についてのイメージの悪さはわかっているのですが、それは「官」の学校であって「公」の学校ではないのではありませんか。

 「私語の反対語は何ですか?」と子どもに聞きました。子どもたちは答えられませんでした。「では私服の反対語は?」と聞くと「制服。」と答えました。「私の反対は?」「公。」「だとすると、私語の反対語は公共語じゃないの。」「私服の反対語は公共服じゃないの。」と言いました。私たちは公共語や公共服とは何かを始めて考えるのではないでしょうか。さらに言えば、公共語を教えることが討議づくりだった筈です。

 では制服は何でしょうか。これは官服ではないでしょうか。そして、教師の語る言葉が私語の反対語なら、それはやはり、官(僚)語になっているのではないでしょうか。パブリックな言葉を作り出す事も「公共空間(公的空間と書きましたが、間違いです)」を創る試みの1つだと思います。

 この「官」は、国民国家につながり、そして国民国家の学校が誕生します(ここは河田さんの説明のとおりだと思います)。国民国家の学校が「官」であるから、「公共」の空間にしていくことが必要だと言うことなのです。でも共から公への橋渡し論(学校の公的な部分と手を組みながら、何でもありの新自由主義と戦う戦略)は私も自信がありません。もっと議論が必要だと思っています。ご意見を下さい。

 

「共の世界と学びとしての公の世界」  河田 秀明

 みなさん、こんにちは。

 上村さんが、「公」と「官」を区別してしたとは知りませんでした。区別を前提にするなら、私が上村さんへの返信メールで使用した「公」は、「官」とほぼ同じ意味にとらえてもらって結構です。では、改めて「官」とは、違う「公」を定義しなくてはなりません。上村さんは、どうのように「公」をとらえているのでしょうか?私は、「公」は「共」をさらに「開いた」ものだと定義づけています。つまり、「人類的、地球的な視野と歴史的普遍性」に開かれた「公」という意味です(これは、あくまで私個人流の定義です)。

 具体的に論を展開すると、私は、学校は教師・子ども・地域住民の共同によってつくる「共の世界」でいいと思います。例えば、上村さんは図書館を「子どもたちの手でルールを作らせて、公共的空間をつくらせることが大切だ」と述べています。もっと発展に言えば、漫画があって、寝転べるスペースがあって、BGMが流れて・・・というような、子どもたちが望む「自分たちの図書館」を作ればいいということですよね。何も「国立図書館」を目指す必要もないわけで、あくまで、そこで暮らす人たちの「合意」による「共の世界」をつくりあげれば良いのではないでしょうか。

 しかし、そこで暮らす人たちの合意に基づく「共」は、時として「閉鎖性」を持つことがあります。例えば、中世の封建的・家父長的な「共」や、近代の国家主義的な「共」では、困ります。そういう「閉鎖性」に陥らないようにするには、「共の世界」における「学びの世界」が、「公」に開かれたものであることが大切なのではないでしょうか。上村さんの学校の図書館が「共の世界」でつくられていき、その図書館での学びが「地球市民としての生き方を追求する」という「公の世界」であればいいのではないでしょうか。私は、「学校」をそんなイメージでとらえています。今はあまり流行りませんが、昔全生研で合言葉になった「シンクグローバリー、アクトローカリー」は、「空間的な共の世界と学びとしての公の世界」を言い表していたと思うのですが、みなさんは、どうとらえていたのでしょうか?

   不易流行  上村文隆

川村さんへの返事です。

>--「さすが上村先生ですね。なるほどと思いました。公的な空間を認識するためにルールづくりを行う。確かにその通りですね。そのために上村先生は、上村学級のルールづくりを行ったわけですね。では、私は今中学3年生担任。そして残り3ヶ月ほどで卒業してしまう生徒たち。こんな状況で、どのようなことを行っていけばよいのでしょうか?私なりに考えてみます。もし何か良いアイディアがありましたら教えて下さい。」

 これはアイディアではありません。私が常々疑問に思っていることです。

 「中学校の卒業証書って何だ?」「君達は本当に卒業証書を持てるのか。」「H中学校の3の5の卒業証書を持てるのか?」「中学校の卒業証書と高校の卒業証書はどこが違うんだ。」「小学校の卒業(証書)と中学校の卒業(証書)はどこが違うんだ。」・・・こんな疑問が浮かびます。

 とすれば、「君達は何を持って卒業とするんだ?」と聞いてやりたくなります。そしてこれを生徒と一緒に探っていくことが本当の卒業につながっていくのではないでしょうか。

>「つまり、教育どんどん進化(?)していく中で時代が変わっても大切にしたいこと、変えてはいけないことがあるということです。例えば、興味関心という点では、生徒がやりたいこと、やってみたいことを選んだり、調べたり、学習したりというのが今の教育の主流なのではないかと思います。ということは、「やりたくないことはやらなくてもいい」とも考えられるわけです。当然我々は生徒が興味関心を示すように教材研究をしているわけですが、今のこの流れがどうも疑問に残ります。A君の姿を見ていると特に強くそれを感じます。「やりたくないことも、我慢してやっていくこと」には、もはや値打ちはないのでしょうか。僕はすごく値打ちのあることだと思っています。」

 「やりたくないことをやらないのは値打ちがある。人を殺せと命令されて拒否する勇気は賞賛に値する。逆に言えば、やりたいからやるんだ。でも、やって見ないとわからないことがあるだろう。まずやって見てから文句を言ってくれ。」

 私が子どもたちに言えるのはこれくらいのことでしょうか。夕べ、「自由」についてうちの息子と議論しました。「自由」というのは何の自由だ?と聞いたら、N先生の教えのおかげで基本的人権だと答えました。ではどんな人権があるんだ?と聞いたら、やりたいと思ったことをやる自由と答えました。それなら人を殺すのも自由かと聞くと困っていました。そこで、自由というのは「思想・良心の自由」のことだと言いました。お互いの思想・良心の自由を尊重することが自由なんじゃないかと話しましたが、理解してもらえませんでした。

 私は、教育での流行を疑いの目で見ます。流されているだけではないかと。そして、不易も疑いの目で見ます。本当にそうだろうかと。その場合、判断の基準は子どもたちの姿です。子どもの姿は否定的なものであろうと、現実には違いないからです。その現実をどう読み解くのかは、大胆な仮説とそれを検証する知性だけです。

 したがって、私も「まずやってみてくれ。」と要求します。違いは「それから文句を言え。」でしょうか。私は文句を言うのを認めます。それは、よりよいものを探っていけるからです。そして、子どもが参加できるからです。そして、私も学べるからです。

>「自分の話はさておき、「流行と不易」みなさんはどうお考えになられますか。流行よりも、不易の部分をもっとクローズアップさせる必要が今あるのではないでしょうか?いろいろ教えて下さい。」

 私は流行にも反対。不易にも反対。流行は商業主義の流行をイメージし、不易は保守的な権威主義をイメージするからです。

 でも、世界は変わらされています。また、世界は変わっています。その中で、教育における「不易」とは何かを探っていくことは大賛成です。改めて、川村さんの提起した「不易」をもう一度考えて見ようではありませんか。

 A君で言えば、彼の「学び」とは何かを考えなくてはいけないと思います。高校受験のための学習に彼は撤退しているからです。かれにとって中学校で学ばなければいけないことは何か。例えば、電話のかけ方、人との対応、身体で学ぶこと、キャッシュカードの使い方、性教育、世の中の仕組み・・・・色々あります。それを教えることがもともとの中学校の仕事だったのではないでしょうか。「流行と不易」というと、三十年前は中学校を卒業してみんな仕事についたのです。したがって、中学校の仕事は進学でなく世の中で幸せに生きていくためにはどうしたらいいのかを教えることでした。まさに進学の方が流行なのです。その意味で、今こそ公教育としての中学校教育を(不易なものとして)考える必要があると思います。

「やりたくない」を読み解くと   河田 秀明

上村さん、みなさん、こんにちは。

 川村さんと上村さんのメールのやり取りが、実にいいですよね。つい「横槍」を入れたくなります。上村さん、あしからず。

 さて、今回の二人がやり取りしている内容の中心に「子どもたちのやりたくないにどう対処していくか」が、問題に上がっていますね。川村さんは、「やりたくないことでもやることに値打ちがる」という論調で、上村さんは「やってみてくれ、そして後で文句を言ってくれ」と、やりたくないという内容自体を問うことが大切だと答えています。

 さて、90年代の新しい荒れの特徴として、「学びからの撤退」が指摘されています。確かに、最近の子どもたちの授業放棄は、すさまじいものがあります。小学校低学年から、授業エスケープが始まっています。私の学級にも、授業放棄をしている子たちが少なからずいます。「なぜ、かくも子どもたちは、学習を拒否するのか」と、戸惑っている日々だと言っても過言ではありません。そういう中で、少し思うことがあります。今クラスでは、体育で「なわとび」をやっていますが、「交叉とびが、できるようにしよう」という課題を設定すると、「交叉とび」ができない子たちは、2、3回練習してすぐに「できない」と見切りをつけて、鬼ごっこなどの遊びを始めます。しかし、その子たちも「あやとびが、できるようにしよう」という課題を設定すると「できる」と言って、何回も跳ぶのです。逆に、「あやとび」ができない子たちが、他の遊びへ逃げていくのです。そして、「今度は何をやろうか」と問うと、それぞれが自分が「できる種目」だけを「やりたい!」と主張するのです。私は「すでに『できている』ことを何度もやることにどういう意味があるのだろう。『できないことが、できるようになる』ということが学習であり、学ぼうとする源泉であるはず・・・」と主張しますが、そういう考えは子どもたちとは、かみあっていきません。ズレてしまうのです。このことをみなさんは、どう考えますか?私は、次のように分析しています。「子どもたちは、学習を拒否しているのでなく、評価を怖れ、そこから逃げているのではないか」ということです。言いかえれば、「子どもたちは、自分の『ワザ』として知的・身体的に能力を高めたり、獲得するという喜びよりも、周囲からの『できる子という評価』こそを求めている」ということです。私の分析が、的を得ていると仮定した場合、なぜ今日の子どもたちは、そのような価値観をもつようになってきたのでしょうか?思うに、今日の子どもは早期から「できる子が、良い子」というメッセージを過剰に受け入れてきたのではないでしょうか?しかも、その「できる内容は、大人が判断した価値あるもの」という限定の中で。

 例えば、私たちが子どもの頃にやっていた遊びは、「コマを上手に回すワザ、魚をうまく釣るワザ、よく飛ぶ凧を作るワザ・・・」というように、「ワザ」を身体的に獲得すること自体が、面白かったのではなかったでしょうか。それは「大人の高い評価」を得たいからというものでは、決してなかったはずです。ですから「できない」ということに何度も挑戦していきました。そして、「できるようになった」ことに喜びと誇りを感じて育ってきました。今の子どもたちには、そういう世界があるのでしょうか?(ちなみに、子どもたちが好きな「ポケモン」。あれは、高い能力を持つモノをいかに「ゲット」するかで勝負が決まり、本人自信が努力してワザを獲得するものではないですね。バトル鉛筆も、同じです。勝負は「運」と「高い能力を持つモノ」で、決まります。つまり、子どもたちの遊びは、「能力のあるモノ」を商品(お金)として、たくさん手に入れた者が勝つという「市場世界」そのもののです。そのことを学んでいるのですよね。結果としての勝ち負けに以上にこだわる子どもたちの登場というのも、「評価」を気にする子ども像を象徴していますよね。)。また、もし仮に子どもの中で「釣り名人」とか「虫取り名人」といったワザを獲得している子がいるとして、はたしてそれを「すごい」と、評価する子ども・親がどれほどいるのでしょうか?そんなことよりも、「計算ができる子」「漢字をよく書ける子」を評価するでしょうね。

 つまり、現代の子どもたちは、かつて存在した「子どもの世界」を喪失しているがために、身体的・知的「ワザ」の獲得を「喜び」とできない子ども、自分たち独自の価値観を持てていない子どもに変容してきているのではないでしょうか?ここにも、子どもと親の距離の近さが生み出すの悲劇を感じます。

 少し回り道をしてしましました。結論的に言えば、子どもたちは教科内容(例えば「なわとび」)を「やりたくない」と言っているのではなく、「できない」という評価(そういう自分の姿を表出すること)を怖れて、「やりたくない」と拒否しているのではないでしょうか。そうだとするなら、私たちがすべきことは「やりたくないことでも、やることに値打ちがあることを教える」ということや「やってみて、後で文句を言ってほしい」と内容を問うことではないように思います。私は、「学びの世界」をいかに「子どもの世界」にドッキングさせていくのかだと思います。そのためには、「評価ではなく、獲得過程そのものの楽しさを感じ取る身体づくりや、大人の価値観ではなく子どもたち自らの価値観に基づく学習」を重点課題にしていきたいと考えています。

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