教師と子ども・子どもと子どものつながりをつくろう

〜貧困に立ち向かうために〜

2011年度 岐生研基調提案

1.昨年度の基調提案をふまえて

 とんでもないことが起こりました。東日本大震災のことです。原発問題も深刻なことになり、日本中が揺れています。そんな中でも、被災した子どもたちや教師たち大人ががんばっている姿が伝わってきます。
 被災した人たちの窮状がクローズアップされて、ここのところ問題となってきた子どもの貧困問題、日本の貧困問題が消しとんでしまったかのような気がしてきます。しかし、貧困問題が解決されたわけでは決してありません。

 昨年度の基調で、「『貧困』をみすえた学級・学校づくりの理論・方法をつくりあげよう」ということを提案しました。そのために、「『勝ち組を目指すのではなく、みんなで幸せになることを追求する哲学へ』という藤井先生の言葉を、実践に移していくことが求められているのではないか」と書きました。
 そして、「そのために、私たちはどんなふうに、『班づくり』『リーダーづくり』『討議づくり』『学びづくり』をしていけばよいのか。『貧困』という視点をもとに、何を大事にし、どのような実践を進めればよいのか。私たち岐生研の仲間が、それぞれの実践を積み上げ、年間を通して記録し、サークルなどで検討する中で、『力で『勝ち組』に追い込んでいく』という方法に対抗できるような『理論』や『方法』をつくりだしていかなければならない」と書きました。

 この1年間、岐生研の仲間が様々な試行錯誤をしながら、「ものが言える空間づくり、分かりあえる仲間づくり、安心していられる居場所づくり」と追求してきました。具体的には、後の章で触れるとして、「力で『勝ち組』に追い込んでいく」という方法に対抗できるような実践を行うことができました。しかし、それを理論化するまでには至っていません。

2.家庭の状況

 全国で、「給食費の滞納」が問題になっています。岐阜県も例外ではありません。昨年度のあるクラス(27名)の中に、4月から一度も給食費・教材費が入っていない家庭が2つありました。子どもは2人とも、かなりの低学力です。
 小学校3年生のクラスですが、両方とも1年生に弟(妹)がいました。1年と3年の2人ですから、十何万かの滞納になります。子ども手当が出るということで、校長がそれを当てにして何回か家庭訪問したり電話をしたりしていましたが、簡単にはいきません。
 Aさんは、前向きな答えをしていましたが、「今日が支払う約束の日」という朝に、「私自身(母親)が、インフルエンザとおたふくかぜになってしまって、銀行に行けないので・・・」というメモを子どもが持ってきました。担任がそんな話を職員室ですると、他の先生から「去年、Aさんとこは、3回もインフルエンザになったよ」などと、仮病を勘ぐる声も聞かれます。Aさんは、最終的にはお金を全額払いました。
 Bさんは昨年度中に離婚しました。といっても、それは母親が勝手にそう思っていただけのようで、籍は抜けていなかったようです。ですから、父親は家を出たのだけれども、子ども手当は父親の通帳に入ります。「何とか、お父さんから子ども手当をもらってくださいね」とか「もし必要なら、私たち学校もお父さんとお話しますよ」などと、校長も担任も声をかけていました。
 Bさんには、4月から「準要保護」の申請を出すように声をかけているのですが、ずっと出していませんでした。しかし、だんだん担任は「Bさんは、そもそも申請書の書き方が分からないのではないか」と感じるようになりました。つまり、親が通常の生活を送っていけるだけの力を身につけていないのではないかということです。
 Bさんの学級費は、一旦校長が立て替えました。給食費は後回しです。そして、Bさんは、まず半分ぐらいを校長に返しました。Bさんは、長野県に引っ越すことになりました。Bさんの祖父母を頼って行くようです。引っ越しの前日、学級費の残りは払いました。しかし、まだ給食費は払えていません。
 県内のK先生の実践に出てくるひなこの家庭も大変です。ひなこの母親自身に発達障害の可能性がある、母親自身にコミュニケーションの力がない、母親がひなこを虐待している可能性もある、そのような中でひなこは育っています。

3.県内の仲間の実践

 県内の実践を見てみましょう。
 I先生は、学年主任です。卒業式の練習にも出ないでサッカーをやっていた子たちが中学に入ってきました。その子どもたちを前に、「子どもの問題を絶対に担任の責任にしない。」ということを方針の一つとして掲げ、実践します。
 あるとき、「あめを学校でなめる」という問題が発覚しました。このことを大問題として取り上げることに対しては、ある研究会で話し合った中でも賛否あったようですが、そのことはここでは触れません。I先生は、まず「やったね。すべての学級にまたがっている。みんなで学校生活・自分たちのあり方を考えていけるチャンスだ!これを生かしていきたいね」というスタンスで臨んでいます。「ピンチをチャンスに」ということはよく言われていますが、そのことを体で感じて実践しています。だから、その次の「一人一人を呼んで話を聞いてという進め方は止めよう!これをきっかけに今の自分たちの学校生活を見つめさせ、2年生に向かっての見通しを持たせたいねえ。そういう機会にしようよ」という発想になります。そして、I先生が中心となって、何人かの子から聞き取り、それを「学年集会の場で発表させる」「その後に、全員に書かせる」「それをもとに、各クラスで話し合う」というように実践は進みます。
 「あめ」の問題を、一人ひとり(個人)の問題として終わらせないで、「みんなで考えあう」というきっかけにしています。そして、周りでアクションを起こした子、起こさなかった子、当事者になった子の生き方に迫る実践をしています。

 Y先生は、特別支援学級を担任しています。担任している子たちは、交流学級の中である程度の心の傷を負っています。体育祭の大縄で、交流学級にいる仲間のようにちゃんと跳べない。それが心の負担になり、もどしてしまうということが起こりました。
 Y先生は「みんなに話してわかってもらいませんか?」と持ちかけました。そして「仲間からは『みんなに何か言われそうな気がする。というのはとてもよくわかる。わたしも同じ心配をしている。』『みんなは、何も言わないけど、引っかかった時にみんなに見られるのがいやだ。』『引っかかりたくないのに、引っかかっていやな気持になる。』という発言が続いた。そういう発言を聞くごとに、暗い顔をしていた川中はだんだんと表情が柔らかくなってきた。」という仲間同士の話し合いになります。そしてY先生は「みんなと一緒に頑張りたい、という気持ちと、自分のせいで失敗するのは我慢できない、という気持ちの間で困っているんだね。これは、体に出るしかないなあ。だから気持ちが悪くなるんだ。」と言います。

 K先生は、校長先生が「6歳程度の子」と言った5年生の子を担任します。
 K先生は、まずは自分が徹底的にひなこの思いを聞き取って大切にしてきました。そして、そのスタンスをひなこの周りにいる子たちにも広げていきます。また、意図的にひなこの居場所になるような班をつくっていきます。また、そのような班の中でひなこが活躍できそうなことを係にするなど、ひなこが班の仲間と関わって生き生きとできる場をつくり出してきました。

 H先生は、問題行動を起こす子の思いを、仲間に分からせようとします。
 例えば、「給食当番のヨシジロウさんは、配膳台で大食缶に入っているラーメンを配ろうとしていた。オタマでラーメンをすくい食器に入れていくが、手元がふらつき食器に入る前に、汁がこぼれる。それを見ていた女子が『私が代わるから、ヨっちゃんは、小さい食器を配って。』と、ヨシジロウさんに声をかけた。ヨシジロウさんは、無言でオタマを渡すと、スタスタと自分の席にもどり座った。その数分後であった。ガッシャーンという音と共に、机がひっくりかえり、配ってあった給食の食器とごはん、牛乳が床に散らばった。」という事件が起こります。
 H先生はヨシジロウさんと会話を交わした後、5時間目を学活にして「ヨシジロウさんがほとんど大食缶を配ったことなくって、今回も配りたかったけれどできなかった。そのくやしい気持ちに誰も気づいてもらえないことと、みんなと同じようにできない自分に腹が立って暴れてしまった・・・。」と、今回のことを説明をします。そして「みんなもストレスがたまってイライラすることがあるでしょう。ヨシジロウさんは、そのイライラがうまく解消できなくて、爆発してしまう。みんなは、どうやってストレスを解消しているのか教えてほしい。」とみんなに投げかけています。

 私自身が担任したクラスは、トラブルの多いクラスでした。そのために、「屋内で起こったけがで保健室に行く子がダントツで多い学年」でした。そのトラブルを個々の問題にしないで、みんなで解決していくことを通して、「2学期に、3年生はけがが半分以下になった」と保健主事や校長にびっくりされるような結果にもなりました。

4.みんなで幸せになるために、つながりを

 しかし、全国や県内の多くで行われている実践は、必ずしもその方向には向いていません。
 問題が起これば起こるほど、管理を厳しくし、その管理からはみ出した子たちを執拗に責めていく、あるいは排除してしまう、そのような実践が多くなされているのではないでしょうか。K先生の学校の校長が「6歳程度の子」と言っておきながら、ひなこの行動を「わがまま」と決めつけ、特別支援学級への判定がおりると「今までは、ヒナコさんのわがままだと思っていたことが、障害だった。これからはヒナコさんにあった教育をしていきましょう」と手のひらを返すような態度をとっています。
 この例は極端かもしれませんが、ここに多くの現場で行われている実践が象徴されているような気がします。障害を持つ持たないにかかわらず、その子のニーズを教師や周りが感じ、そのような付き合い方や指導をしていかなければならないのに、障害だから、特別な子だから、特別扱いをする(他の子と切り離す)ということになっていないでしょうか、逆にいえば、障害を持っていないと思っている子に対しては、教師も周りの子もただ責めるだけ、の実践になっていないでしょうか。

 子どもの起こす問題には、必ず理由があります。問題の裏に何があるのか、そこにある「貧困」を見ていく。貧困とは、もう言うまでもないと思いますが、「経済的な貧困」のみではなく、様々な貧困があります。「つながりの貧困」「時間的な貧困(追い詰められている)」「育ちの貧困(競争で追い込まれている)」などです。

 貧困そのものを、私たち教師の力だけで無くすことはできません。しかし、「貧困と闘う力」をつけることはできます。
 昨年夏に行われた、第52回全国大会(滋賀)基調は、
 @子どもたちに貧困問題と向かい合う<当事者性>としての力をつけること、
 A『自分からの排除』を克服するための自助グループと、自分たちの必要と要求にもとづく要求実現運動のグループ<アソシエーション>、
 B貧困状況を変えるために必要な学び、C幸福を集団的に追求する学校づくり
を提案しています。

 また、岐生研において、昨年度のレポートなどで出された実践は、「貧困と闘う力」をつけていくためのヒントを提供してくれていると思います。「ピンチをチャンスに → 意見を出し合える場をつくった」I先生の実践。「自分だけが苦しい → 実はみんなも苦しかった → 癒しあい → エネルギーがわく」という自助的グループを追求したY先生の実践。徹底的に、ひなこやクラスの子の居場所をつくってきたK先生の実践。問題行動の見方を理論的に示そうとしているH先生の実践。

 堂々と、「みんなでしあわせになろう」というスローガンを掲げませんか。そして、そのためにできることを、具体的に子どもたちに提起していきませんか。大震災の中から生まれてきた教訓からも、「大変な時こそつながりを大切に」ということが言えると思います。「大変」というのは「貧困」にも言えます。「みんなでしあわせになろう」「つながりを大切に」というのは、今まで私たち岐生研が行ってきたことと違うことではありません。

 昨年度の基調提案の中で、「班づくり」「リーダーづくり」「討議づくり」「学びづくり」という言葉を使いました。これらのことを追求していくために私たちが何をすればよいのかを考えて行くことの重要性は変わっていません。さらに前述のように、昨年度の全国大会基調では、「アソシエーション」という言葉も使われています。学びながら、様々な子どもたち同士の「つながり」をつくりだしていく、そのようなことを、私たちは模索していきたいと思います。

 昨年までの実践の中で私たちが培ってきた力をもとに、それをさらに発展させ、私たち岐生研の理論としていきましょう。

(5月21日 提案 岐生研研究担当 佐藤)


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