2000年度 岐生研 基調提案  ― 子どもとどう向き合うか

 子ども・親とのすれ違いをどうするのか

(21世紀へ向けての学校づくりの展望)

1. 過激に変化する子どもたち

(1)「なんでもあり」(新自由主義)の状況の広がり
@「学びの世界」や学校からの撤退
 ・学力格差の拡大(小学校に入ってきている段階ですでに広がっている)
 ・授業エスケープ、教室・学校への間断のない出入り
 ・なぜ、なんのために学ぶのか?に応えない授業
 ・学校文化への見切り
 ・しらけ・あきらめの深まり
 ・いらだち・不安感=ストレス→むかつくという言葉→きれる
 ・教師の指導に対する拒否・暴力的な態度「もうええ、ほっといてくれ」(中学生)
 ・能力主義=敗者を産み出し続ける体制→だめだ、だめだと思わせ続ける
  →そんな自分は滅ぼしてしまいたい→自分を否定する他者を滅ぼしたい。

◆加藤実践「危機の中にある希望・未来」
「死にたいよ 泣きじゃくる子は まだ十二」「家出して ぼくといっしょに ねえ先生」

A身体の未形成、自虐的な行為と攻撃的行動の二極化
・基本的な生活習慣の欠如
・自尊感情が極めて低い。自己肯定感が持てない
・アダルトチルドレン(親や教師をはじめとする、おとなのまなざしや期待のなかを生きている子ども)
・ダイエットの結果としての「拒食」や「過食」などの摂取障害、かわいくなければ女ではないという絶えざるメッセージ。 →ありのままでいられないという圧力・社会的まなざし
・薬物(麻薬、覚醒剤、シンナーなど)の乱用
・自殺予告・いじめ・自死事件と迫害的いじめ
・神戸児童殺人事件、栃木女教師殺人事件など

B消費文化・マスコミ文化の血肉化、異装や性の商品化などの「荒れ」のボーダレス化・日常化
・コミックアニメ、グッズ、コレクション、ゲーム、テレビ、プリクラ、茶髪、ピアス、ルーズソックス、ポケベル、携帯電話、テレクラ、援助交際、少女売春など
・これまで大人や一部のツッパリの子どもの問題から、「普通」の子どもにとっても日常化。
  中学→小学校高学年→低学年→保育所からの荒れ→変わりつつあるゼロ歳児=荒れざるをえない状況
・「自分の体を使ってやっている。誰にも迷惑をかけていない。かまへんやん」→どう対話するか?
・読書離れ、マンガすら読まない子ども・青年

(2)新教育課程・新学力観と子どもの変化
 ・新教育課程、新学力観の背景にあるのが新自由主義
 ・市場原理の導入(もうかればやります)=自由競争の激化=規制緩和
 ・新自由主義の二つの顔
   管理統制→そのまま
   保護 → 国民の権利をなくす (大企業のもうけの保護) 大型店の進出→商店街がさびれる
 ・「やりたいことはやる、やりたくないことはやらない」これが新自由主義のイデオロギー
    (子どもらは、このイデオロギーを身につけてきている)
 ・自助努力、受益者負担(自分のことは自分でしなさい)→持てる者と持たざる者の差の拡大)

(3)学校の管理主義と子どもの変化
 ・暴力的な管理主義とソフトな管理主義=よい子競争
  ◆加藤提起「教育実習校問題について」
 ・「息苦しいクラスからホッとするクラスへ」を求める子どもたち

(4)消費社会と子どもの変化
 ・子ども・教育が市場のターゲットにされている

(5)家族の変貌と子どもの変化
・ドメスティックバイオレンス、児童虐待・ネグレクトの連鎖と増大
・弱い者の声はほとんど届かないのが、この国だ!
  ◆加藤実践「危機の中にある希望・未来」
・学校よりもしばりがきつい家庭。(家庭でストレスをため、学校で発散させる子どもたち)
 「事実を共有する」と家庭でのしばりがきつくなる(たたかれる)「親に言わないで」「家に電話をしないで」と訴える子どもたち→ていねいな配慮を(どうその子をみていくかでの合意を広げる)
・35才の主婦、46%が自分は子育てに向いてないと思っている
・会社人間が突然リストラ(持たざる者への転落)
・過保護過干渉の母親
・子育てのサービス主義(親がやってしまう)
・我が子中心主義に追い込まれる母親たち(=根強く残る家父長制)=子どもを他者と見ることができない。
・「母親役割」を脱しようとする母親たち(親としての責任感の希薄さ、子どもに対する無関心、子どもそってのけで自分の仕事や趣味重視の生活をする母親。「性的役割分業、子ども最優先」を当然とする考え方から脱し、よくいえば自己実現をはかろうとしはじめた女たち)
・いい親でなくては→「不安なままで生きていこう」「ハラハラしながら見守っていこう」のメッセージを→「家ではゴロゴロ、グタグタ、デレデレでいいじゃあない」のメッセージを
・教育家族では「愛という名の支配」「成果を求める子育て」「期待の視線でしばる」(親の人生戦略のコマに過ぎない)「やさしい暴力・見えない暴力」○○ちゃん大好き、だから言うことを聞いてね。勉強のできる、よい子の○○ちゃんは好きよ→拒否したら捨てられる(拒否の自由がない)言うことをきかなかったら、いい子でなかったら捨てられる。
・孤立で不安、子育てノイローゼになる親→その不安をぶつける相手は学校・教師しかない?
・そうせざるを得ない親→共感的に耳を傾ける。親の悩みを聞き、お互いの悩みを語り合える関係が、まずはできればいい。
・新たな家族の形。教師の「家族観」「母性観」の見直しを
・学校という「権威・権力」の側に自らの身を置いて向き合うのではなく、ひとりの生活者として、弱者の側に立って父母と対話・協同する中で、わたしたち(教師と親)は共に癒される。

(6)子どもらがつけてきているちから
 ・人類と地球の未来に対する危機感、それを救うやさしさ
 ・環境問題・核兵器問題への関心の高まり
 ・自然との共生への関心の深まり
 ◆加藤実践「高学年理科の授業で」
 ◆三橋実践「ユニセフビデオをみて」
 ・世界の子どもたちの現状への関心の高まり
 ・歌・踊り・イラストなどの豊かな表現力
 ◆河田実践「仮面づくりとキャンプファイヤー」
 ・意見表明をし始めた子ども・青年
  (スケートボード場を求める青年。埼玉、所沢高校。京都、桂高校)
 ◆加藤実践「学校のなかのこんなものいらない」◇棚橋実践「ランドセルの自由化」

2.教師と子どものすれ違いをどうとらえるか

(1)教師と子どものすれ違い(ズレ)の諸相
@学校重視と生活・友達重視=空間論でのすれ違い
・教師・朝から明るくあいさつ、全員発言の授業、宿題たっぷりドリル、テスト、居残り勉強
・子どもの必要と要求にそわない家父長的な学校に押しこめようとする
 →過剰適応する子ども←→教師の押しつける学校的な秩序から離脱する子ども
・子ども:友達と遊びたい、たくさん遊びたい、ゆっくり休みたい
 ◇岐阜民研アンケート

A未来志向と現在志向=時間論でのすれ違い
・教師:将来のことを考えたら
・子ども:今のことを否定する形でいいのか
B学校文化志向と消費文化志向=文化論でのすれ違い
・教師:学校くさい中流文化(教科書の歌・いい歌)
・子ども:マスコミ文化にどっぷりつかっている。 それしかない。自前で創り出せない。
C現実志向と仮想現実志向=リアリティ論でのすれ違い
・バーチャルな世界をどうみるか?(現実がつらいから…)
 バーチャルな世界を認めたうえで、現実世界を再発見していくこと
D論理重視と感性重視=言語論・意識論でのすれ違い
・子どもはフィーリングで生きている
・もっと子どもの声を聞くこと
E〈ねばならない〉重視と〈したい〉重視=道徳論でのすれ違い
・願いを受けとめたうえでの合意づくり
・〜したいという要求を実現するためのルールづくり
F人格志向とアイデンティティ志向=発達論・教育論でのすれ違い
・自分らしさがほしい→自分さがしの旅
・きって押し付けるのではなく、つなげる対話法

(2)教師自らの「常識」への囚われ
@教師と子どもの世代的な違い
・教師:努力したら報われるという価値観
・子ども:努力してもしょうがない。将来そこそこみえている。
A学校という空間の閉鎖性が、教師の「常識」を特殊化するとともに、自らの「常識」への囚われを強固にし、子どもの「常識」や市民的「常識」とのすれ違いをつくり出している。「日本の常識は世界の非常識」「学校の常識は世間の非常識」
B問われるべき教師の「常識」とは? ◆加藤提起「学校の常識を問う! その1」
◆加藤提起「子どもの呼び方どうしたらいいの」

(3)すれ違いを当然のこととして受けとめる
・37人いたら37通りの「常識」がある。・すれ違いはすれ違いとして認識する。
・相手(子ども)のせいにしない。・自分(教師)の側にも原因の一つがある。
・意見の違いがどこにあるかを確認する。
・子どもの持っている「常識」を出させながら、学級の新しい「常識」をつくっていく。
・異質なものとの出合いを楽しむ、異質なものと共存・協同(異質なものなかにある同質性の発見)
 ◆河田実践「則武小での一週間の実践」
・「なぜ教室から出ていくのか」の議論を! 
 あいつらはあいつらや。→あいつらのなかにも、オレ達と同じところがある。

3.登校拒否・不登校のとらえ方

(1)教師・親と子どものすれ違いとしての登校拒否・不登校
 ・教師・親と子どもの望んでいることが違う ◇フリースクール「ベンポスタ」の活動

2)登校拒否・不登校をめぐる新しい傾向
 ◆田中秀実践「豊かさへの旅」

3)子どもの自己決定権の尊重を
 ◆河田実践「段ボールの秘密基地づくり」
・わがままか権利か?
・共同的な追求を踏まえたうえでの子どもの自己決定
・宿題やるかやらないか、子どもが決める
・孤立した自己→他者と生きる自己(わたしの元気度 70% 理由はいわなくてもいい)

4.「なんでもあり」の状況と向き合う教師の視点とスタンス

(1)子どものありのままの姿をまずは認める
・子どもは本当に「荒れ」ているか? →病んでいるだけではないのか?
・悪いことをしても、悪い子はいない。
・発達の速度の差とアンバランス→これとつきあっていく→発見した愛らしさを親に伝えていく
・その子なりにせいいっぱい生きている(わたしより、子どものほうが立派に生きている)
・育てるほうもつらいが育てられるほうもつらい
・子どもの生きづらさ・親の生きづらさ→だから共にたたかうことができる
 →語り合える関係づくりだけでもいい
・あんたと出会ってよかった。あんたの親・教師であってよかった
 =存在をほめる、存在そのものを認める(どんなに荒れようと罪はない)
・どんな子の自尊心も大切に
 (ワルのプライドも大切にしなければ・言っていることが学校を変えていくことにつながっているのでは?)
・いろいろなぶつかりあいは、子どもが自分を知るための体験だ
・目立たない子は、体験の乏しい子
・ルール違反=教育のチャンス

(2)無意識のメッセージを読み解く
・キレることもできない教師である自分 →キレる子をうらやましがる
・なぐるならなぐるなりの理由がある。
・子どもたちを覆う「生きづらさ」はどこからやってくるか?→その子、その子によって違う
・子どものしらけ・あきらめとていねいに闘う
・マスコミ文化に足をつっこみながら、自前の文化を創り出していくスタンス
 ◆山内実践「おれはかまきり」

(3)世界の新しい人間的「常識」を鏡にしながら、教師の「常識」を問い直していく
・どういうまなざしを子どもたちに向けていくのかでの合意を
・子どもたちの現状にあわせた合意を
・合意づくりのシステムをきめ細やかに
・たえまない教師の自己変革をわかってくれない、つきあってくれないという教師の権威主義的な姿には子どもが見切りをつける
・学校教師としての姿勢を問い直す(学校的立場か、子どもの立場か)
(一致した指導を疑う、共通理解の内容を問う)◆粥川実践「Kの友だちづくり」

(4)生活のリアリティに迫る子どもとの対話を
 ・性情報のからくりを読みとる対話を(エロ本を学校に持ち込んだらどうするの?)
 ・行動・イライラを共に言葉にしていく(評価的対話ではなく探求的な対話を)
  ◆加藤実践「小説・子どもの声を聴く」◆田中米実践「K坊と共に歩んで」
 ・勝手に教室を出る→断って教室を出る=荒れ・むかつきを自己コントロールしていけるように
 ・子どもは子どもの専門家(子どものことは子どもが知っている)(子どものことは子どもに聴け)
 ・子どもの「本当」を知らないと自認することから出発。
  知らないから「わかるまで知る努力」が必要、寄り添いながら「聴く」しかない。

(5)保護と癒しとケアのある学校を
 ・多動の子ども、LD、被虐待児などは、今までは放置されてきていた。
  発達上の特別なニーズをもった子どもととらえる。
 ・専門家に診断してもらいながら、ネットワークづくりをすすめる
 ・活動すること、学ぶことにより、子どもも教師も癒される実践の工夫
  ◆河田実践「夢をかなえるサンタになりたい」
 ・活動・関係性・学びのカーニバルの三位一体の実践 ◆桂川実践「それなら賛成です」
  ◆細江実践「飼育祭り(活動)の取り組み」

5.人権と民主主義を原理とした学校を

  子ども、父母、地域住民、教師による学校づくり
  ◆加藤提起「小学校における三者協議会の可能性と課題」

(1)学校をめぐる岐路

・新国家主義の強制「日の丸・君が代」の法制化
・教職員への管理統制の強化。校長権限の強化、教職員への差別賃金
・学校評議員制の導入の動向
・学校選択制の導入の動向(消費者感覚の親と子ども)
・総合的な学習の時間の動向
・経済同友会の「合校」構想への動き
・統廃合による公立学校の縮小・スリム化
・岐阜県における広域人事による教員のリストラ

(2)学校づくりへの教職員の合意と自治

・教職員の合意づくりと自治の力の形成が子ども・父母の学校参加を支える
・子どもも教師も1人ひとりの居場所と出番があり、個性が尊重される学校
 ◆上村実践「六つ葉のクローバー」
・子どもや親の声に教職員がよく耳を傾け、教職員の声に管理職・教育行政がよく耳を傾ける学校
 (上意下達→下意上達)(一方的評価→相互評価)
 ◆加藤実践「好きだよ、君たちのこと」
・子どもの権利と教職員の権利が尊重される学校 「教師の労働条件は子どもの教育条件」
 ◆加藤実践「2回の校長交渉」
・子どもは失敗しながら発達する
・教育実践に失敗はつきもの(ダメでもともと)
・「事実→分析→指導方針→実践→総括」という教育実践の自己サイクル運動を貫ぬくことのできる教師集団の形成
・関係性(子どもと子ども、子どもと教師、子どもと親、親と教師、親と親)を暴力的なものから、平和的・民主的なものに組み替える実践のある教師集団の形成
 ◆桂川実践「ハルキというパニックを起こす子の指導」
 ◆小島実践「Sと共に歩んだ一年間」
 ◆佐藤実践「愛子と弓子と」
 ◆加藤実践「1・1・1物語」
・いちばん困っていることを相談できる教師集団の形成
・批判と自己批判が率直にできる人間関係のある教師集団の形成
・子どものことを中心にした教育論議が豊かに、活発にされる教師集団の形成
・「してみせて、共にしてみて、させてみる」が豊かにされ、教職員同士の学び合いが豊かにされている教師集団の形成
・体罰・管理・おどし・みせしめ・はずかしめではなく、指導のちからによって子どもを育てる教師集団の形成
・子どもがしかられると思っているとき「ほめ」、ほめられると思っているとき「しかる」ことができる教育的演技力のある教師集団の形成
・子どもとボディトーキングのできる教師集団の形成
・子育て・教育に手間ひまかけることをおしまない。手取り、足取り、根気よく、ねばり強くやっていくがまん強さと、どの子も天まで伸びるのだという子どもの成長・発達への確信とごく小さな進歩をも子どもらと一緒に喜べる感性を持った教師集団の形成。
・子どもらが幸せに生きていける世の中・社会について、夢やロマンや希望が生き生きと語り合える教師集団の形成。
・職員会議・研究会・委員会・打ち合わせなどで、自由にものが言える学校
(N0が言える学校、いやなことはいやおかしいことはおかしいと言える学校)
 ◆加藤実践「2回の校長交渉」
・合意形成のシステムがきめ細かにある学校
・どの職員のどのような意見も、よりよい学校づくりのための一つとして尊重され、学習的な論議を豊かにすることのできる教師集団の形成
・教師の研究・研修については、「自主・民主・公開の原則」が保障されている学校
・ジェンダーの視点(男女混合名簿など)のある教師集団の形成
 ◆河田実践「ジェンダーの実践・5年」
・メディアリテラシーの教育の視点のある教師集団の形成
・管理職が民主的管理者であると同時に、指導・助言者としての力を発揮している学校
(それを引き出す教職員集団の形成と努力)

(3)子どもが「主人公」の学校づくり

・どこを切り取っても憲法・教育基本法・子どもの権利条約の精神が満ちあふれている学校
・子どもを権利行使の主体としてとらえる
・職員室、図書館、PTA文庫、公民館などに子どもの権利条約のコーナーを
・子どもの最善の利益=人間の尊厳を求めて、子どもと共にたたかう
・子どもの権利条約31条「気晴らしの権利・息ぬきの権利」
 ◆河田実践「授業改革の試行錯誤」
・子どもにかかわる決定には子どもも参加する
・子どもの自己決定・共同決定を保障する◇棚橋実践「ランドセルの自由化」
・意見表明権(なんでも言える=聞いてくれる人がいる→学校の中にシステムとしてもつ)
 =子どもと大人の新しい関係
 ◆佐藤実践「けっこう大変だったよ社会見学」
・発議・異議申し立て・抗議・抵抗などの民主主義を支える権利を保障する
・「遊び」と子どもらが求めている「学び」の復権
 ◆加藤実践「のびのびふれあいタイムが実施されるまで」
 ◇羽生実践「アートバルーンの実践」
・授業づくりへの子どもの参加(現実と自分の関係を知的につくりかえる学びのある授業)  
 ◆河田実践「授業改革の試行錯誤」◆上村実践「私の授業」
 ◆田中忠実践「地域の教材を拓く」◆加藤提起「子どもの未来を拓く学び」

(4)学校づくりへの父母・地域住民の「参加」を

・地域に根ざす教育のさらなる発展
・多様な人々が、多様な教育的活動を展開するためのネットワーカー・コーディネーターの役割を教師がつとめる
・学校教育目標・教育計画などの情報公開とそれに対しての父母・地域住民からの意見表明の場の保障
・PTAの民主化・活性化
・学校と父母・地域住民との風通しをよくする「子育ておしゃべりノート」「日常的な懇談会」など
 ◆加藤郁実践「親の横のつながりをどう創り出すか」◆細江実践「親ノートの実践」
 ◆三橋実践「教室からお母さんへ」
・一市民、一生活者としての教師と父母の結びつき
 ◆上村実践「地域での生活が子どもを教育する」
・学校評議員制ではなく、子ども・父母・教職員の代表による「学校協議会」
 ◇境川中実践
・教育オンブズマン制度による「学校協議会」の支援
 ◇西濃教育オンブズマンの活動  ◇子どもの人権ネットワーク・岐阜の活動
・児童館建設、若者が豊かに過ごせるスポーツ広場・スケートボード場の建設などの地域づくりへの、一生活者としての教師の参加
・児童館づくりに子どもたちが最初から設計に関わる。運営委員に子どもの委員も

6.心にとめておきたい言葉

・「強い者は下に、弱い者は上に、子どもはいつもてっぺんに」(ベンポスタ・子ども共和国)
・「子どもいなきゃ、世の中なんてただあめんどくさいだけのもんだよ」(後藤竜二『潮風の学校』)
・「子どもだけは裏切りなさんなよ。子どもを裏切るようじゃ、マンガやめたほうがいい」(手塚治虫)
・「 ぼくはカバが好きである。カバもぼくを好きである」(動物園飼育係の西山さん)
・「学んだことのたった一つの証は、変わることである」(灰谷健次郎)
・「子育てにいやみと皮肉よさようなら」(ぐちもだめ)(三上 満)
・ノーパサラン(奴等を通すな)
・あたたかく、やわらかく、ゆるやかに主張すること(批判はやさしさと愛につつんで)
・「子どもには愛情を、教育には情熱を、抑圧には抵抗を!」(末川 博)
・自己内対話(自己批判)のできるものだけが、他者との対話ができる
・問いかけ、共に考える! これが授業と活動の命・否定のなかに肯定をみる
・視野を広く、ふところを深く
・「新版学級集団づくり入門は、ゆれる世界の民主主義に展望を指し示す本、子どもの権利条約の実践的指針の書」(神保 映)
・「異質なものをふところ深くかかえ込む学校」(竹内常一)
・「教師の仕事は、ごっこ遊びの壮大な発展」(浅野 誠)
・「誰かがホンネを語りだし、誰もの要求に響く提起をし、誰にとっても存在感を充足できる行動なら、必ず連帯と共同の力を創り出すことができる」(坂本光男)
21世紀に生きる人類の3つの視点「弱者・少数者の視点、人権と民主主義の視点、共生と共同の視点」 

◆印 岐生研の会員の実践   ◇印 岐生研の会員以外の岐阜県内の実践

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