‘02年度岐生研基調提案

 岐阜の学校と教育をめぐる状況の特徴・2002年 

(1)はじめに

 昨年度の提案の全国的な状況のなかでは、経済同友会の「合校」構想に向けた徹底的な「公教育の解体・スリム化」が行われようとしていると、岐阜県の状況のなかでは、管理の強化により、管理職を追いつめ、管理職と教員の間を分断し、教員を退職へと追い込むことが進められていると指摘した。
 今年度の学校・子ども・教職員の様子は、どうなっているのであろうか。学校五日制の完全実施と総合的な学習の時間の施行に加え、岐阜県では、「少人数授業」の実施が導入されたことにより、教職員の多忙化は、わたしたちの予想をはるかに超えた「耐え難いもの」になってしまっているのではないだろうか。
 数年先の事態が、目前に浮かんでくる。「教職員は、やればやるほど体と心を壊し、想像力を失い、子ども・親・地域とすれ違い・見放され、教育活動への絶望感を募らせ、悲鳴を上げる。それをせせら笑うかのように公教育の解体とスリム化が雪崩をうって始まり、学校教育と日本の民衆の新たな悲劇の幕が切って落とされる。」

 (2)現状を切り開く実践と研究を求めて

 わたしたちに今求められているのは、「絶望と悲劇」に突き進むやり方ではない、子どもらと共に生きる勇気と希望を取り戻す、スタンスと生き方である。そのために、昨年度の提案では、下記のような関係性の再生の提起をした。

学校と教育と子どもたちをめぐる現状を冷静に見るならば、ここしばらくは状況の好転は望めない。それどころか悪化の一途を辿るばかりに違いない。そういう中にあっては、「教師をやめないこと、続けること」が一つの大きなたたかいになる。それは、一見消極的なたたかいに見えるがそうではない。「やめないこと、続けること」は、「断固として、今を、教師として生きる」ことの、新たな自己決意・自己確認なのである。
 その方法は、多様であってよい。とりあえずは、自分流の無理のないやり方でよい。組合や女性部に支えてもらう、愚痴を聞いてもらう、親しい友人と観劇や映画を楽しむ、趣味の旅行や釣りやグルメやスポーツを楽しむ、などなど、とりあえずは何でもよいのである。
 だが、わたしたちは、ふところ深く「何でもよい」ことを承認しながらも、以下のことを提起する。
 わたしたちは「やめない、続ける」ことによって、教師と子ども・父母との関係を「すれ違い」から つきあえばつきあうほど、お互いにいやし・いやしあえる関係に、お互いに支え・支えあえる関係に、お互いにはげまし・はげましあえる関係につくりなおしていくことを提起する。
 教師と子ども・父母との関係をそのようにつくりなおしながら、子どもと子どもの関係、子どもと親の関係、親と親の関係、教師と教師の関係をつくりなおし、「共に生きる世界・生きるにあたいする世界を創造していくことを提起する。

  これを踏まえ、今年度の課題を以下のように提起したい。

@多忙化の実態を明らかにし、それを克服する対話と手だてを明らかにする。

      ・「なにを、なんのために、どのように」を問う。
      ・とりわけ「まじめな」教師の中に根強くある「学校への囚われ」の実態とその克服の手だてを明らかにする。

A関係性の再生がどう進んだかを明らかにする。

      ・暴力を越えて、どう平和的な関係性を築いたかに焦点をあてる。
      ・学級集団づくりの構想(班・核・討議づくり)の新しい展開。
      ・地域にある「子どもらの学び場、居場所」との連携。 
       ・親同士の「それ自体が生きる支えとなる関係性」づくり。

 B「総合的な学習の時間」への対応を明らかにする。

      ・基礎・基本の学力とどのように関連づけるか。
      ・道徳の授業とどのように関連づけるか。
      ・子どもらの求めている「学び」をどう創り出すか。
      ・「領域としての総合学習」ではなく「視点としての総合学習」からの授業をどう創り出すか。

  今、学校の中で起こっている全ての事態は「有事体制」づくりに向けてのものである。政治・経済・医療などの中でも同様の自体が起こっている。「美名の元にかくされた悪」を注意深くこばみつつ、「1ミリたりとも後退しない」(辺見 庸)決意を固めていきたい。    Think globally,Act locally(新版学級集団づくり入門・中学校より)

 

 実践報告【 B「総合的な学習の時間」への対応を明らかにする 】に関わって、河田実践の紹介。これが今後の私たちの実践への参考になればと願っています。

 総合学習で何をねらいとするのか(私の実践)

2002.6.29 河田秀明

1.地域に発信していく

近年、学習の在り方が見直しされてきている。それまでの知識や技能の獲得に終始しがちであった学習から、子どもたちの主体的な学びを大切にするようになってきている。以前は、いかに効率よく多くの知識・技能を獲得したかが評価されがちであった。そして、そこで獲得した知識・技能は、個々の子どもの内に留まることが多かった。そういう受身的で、個々に留まる学習は、時として学ぶ意味を不鮮明にし、受験知に転化しやすいものでもあった。本格的な実施が始まる「総合的な学習の時間」の設置の背景には、そういう学習のあり方の見直しを図るという面があるのではないかと思う。
 私は、これからの教育として、特に「個人の知識・技能の獲得で終わりとせず、自分たちの学習の成果をいかに社会へ発信していくのか」を考えていく必要があると思う。学習は、個人のものとしてあるのではなく、社会的に有用なものに転化してこそ本当に「生きた学習」になると思うからである。

 例えば、私の実践で「纏」がある。地域にあった実物(纏)と、それにまつわる時事を子どもいっしょに探った。子どもたち(大人も)は、地域に住みながら、その地域にあるモノや人に意外と関心を示さないでいることが多い。また、「村を捨てる学力」(高学歴を手にする人ほど地域から離れていってしまう)と評して、学校での学習が地域との結びつきを重視してこなかったことを指摘する人も少なくない。そういったことも考慮しながら、子どもたちと共に則武の地域教材を掘り起こし、地域に発信できないかと考えたのである。

2.自分たちを取り巻く現世界の解明(ホットな時の話題を活かしながら)

 昨年、学級がスタートして間もない5月に「ハンセン病」に関わる熊本地裁の判決が下された。私は、このニュースをきっかけにして、子どもたちに「ハンセン病と人権」の学習を進めようと考えた。しかし子どもたちは、「ハンセン病」についての知識がなかったためか、今回のニュース記事についてもほとんど関心をもっていなかった。そこで、まず私の方で、ハンセン病に関わるプレゼンテーションを行うことにより、子どもたちの学習意欲を喚起しようと考えた。その場合、単に紙面における文章や写真の提示で終わらせるのではなく、音声も画像も流れる動画的なプレゼンテーションの方がより効果的であろうと考えて、パソコンとプロジェクターを使用してのプレゼンテーションを行うことにした。プレゼンテーションに使用した資料、画像はインターネットを利用して収集したものである。
 私の行ったプレゼンテーションは、子どもたちにとっては衝撃的であったのだろう。ハンセン病患者の人たちが受けてきたであろう苦痛を想像し、声も出ないようであった。その後、子どもたちとハンセン病の学習を進めた。そして「何か、自分たちにできることはないか・・・。」と考えるようになった。そこで、私からの提案をもとに、ハンセン病患者の方々へ手紙を出すことにした。自分たちが学習したことと、各自の抱いた気持ちを患者の人たちに伝えたいと思ったからであり、そのことで、少しでも患者の方々への励ましにならないかと考えたからである。そして、できたら元患者の方々からの生の話を聞けたら・・・と思ったのである。 ハンセン病患者の国立療養所は、全国に13箇所あり、そのすべてに子どもたちの手紙を送ることにした。むずかしく考えないで、自分たちの気持ちを素直に書いておくることにした。その結果、全国各地にある療養所から、とてもていねいな返事が次々に届いたのである。元患者さんからの手紙(元患者さんの多くは盲目か、手が不自由なので代筆)には、療養所へ強制隔離された時のことや、現在も故郷へ帰ることのできないことの悲しさが溢れていたり、子どもたちからの手紙に対するお礼や勉学に勤しむことへの励ましが丁寧に書かれていたりした。また、手紙だけではなく、貴重な資料が同封されていたり、出版されたばかりの本を贈ってくださった方もあった。
 また、療養所のなかには、子どもたちの送った手紙を療養所内の放送で流しましたとか、療養所の広報誌に掲載させていただきましたとか、それぞれがとても大切に扱ってもらっていることを知り、子どもと一緒に感激することになった。

 このハンセン病の学習を皮切りにして私と子どもたちは「被害者の声」を聞き取ることを中心にした人権学習を進めていったのである。以下は、その学習を終えての子どもの感想である。

六年生になって、初めて知ったこと
 六年生で印象に残っている学習。それは、ハンセン病のことです。河田先生が、ハンセン病のこと
について皆に話をしたのがきっかけです。それから、パソコンでハンセン病のこと、療養所のこと、
何歳から何歳までの人が監禁されていたのかを調べていきました。日本には療養所が十三ヵ所あり
ます。これだけ多いと療養所には、かなりの人がいることが分かります。そして、私が一番驚いたのは、
四、五歳から死ぬまで監禁されたこと。そして、ハンセン病の患者の家族までも、差別されたことです。
世間のうわさだけで、差別された人もいました。こんなことは同じ人間として、やってはいけないし、許
されないことです。
 私は、療養所にいてハンセン病は治るのか。また、治す薬は無いのか等という疑問が浮かびました。
河田先生がある日、「療養所の患者さんに、手紙を出そうか」と、皆に聞きました。私も皆も、出したい
と言いました。そこで、各療養所の患者さん宛に、全員が三人ずつの人に手紙を書きました。私は、今
学級でハンセン病の学習をしていることを書きました。そして、監禁されていた時の気持ちや、療養所
はどういう所かという質問や、今はどういう気持ちで過ごしているのかという内容を手紙に書きました。
日にちは長かったけれど、返事が届きました。

その一人の患者さんの手紙を紹介します。
 「中井さんへ。お手紙をどうもありがとうございました。今の子どもさんが、ハンセン病についての
学習をしていることを嬉しく思います。療養所は、歌を歌ったり、他の患者さんとお話したりできると
ころです。中井さんが思っているほど、怖いところではありません。簡単に言うと、老人ホームのよう
な感じです。一度遊びに来てみてください。今は、毎日が楽しいくらい、良い気持ちで、毎日を過ごし
ています。」
 と、書いてありました。私は、その手紙を見て、ほっとしました。なぜなら、「毎日が楽しい」と書
いてあったからです。そして私は、「この学習をして、良かった。」と思えました。
他にも、平和とは何かとか、独居老人の方への手紙も書きました。人権のこと、広島の原爆のこと、ア
フガンのこと、いじめや差別のことなど、世界に関係することも学習しました。アフガンの難民の人た
ちのビデオも何回か見ました。アフガンだけでなく、いろんな国の人たちのビデオも見ました。難民の
人たちの中には、食べ物が無くて亡くなった人や、飲み物が無くて脱水症状を起こす人がたくさんいま
す。
 私たちは、一学期から、どれだけ作文を書いたでしょう。たくさん書きました。そして、先生が「あ
なたは、何のために生きていますか」という作文を課題にしました。私はこの作文には、悩みました。
今振り返ってみると、私は一応、文を書くのは得意なのですが、「自分がこのことで思ったこと、言い
たいことを、ただ字であらわすだけだ。」と、思えるようになりました。
 一年生から、ずっとこういう学習はしてこなかったので、興味深く学習できました。何か、一年が早
かった。中学でも、こういう学習ができればいいと思います。

 

 実践報告 【 A 関係性の再生がどう進んだかを明らかにする 】
  
・親同士の「それ自体が生きる支えとなる関係性」づくりに関わって、加藤実践の紹介。「親同士が生きる支えとなる関係性」をどう作ったか。

   わいわい子育てフォーラム 

岐阜サークル 加藤久雄

 1回フォーラム
  ◆内容 「よい親でなくっちゃあいけないの? ダメな親でいいじゃあない」
  ◆日時  6月2日(土)  午後1時30分〜3時30分
  ◆場所  A公民館 
  ◆会費  200円(飲み物、お菓子代)

 第2回フォーラム
  ◆内容 「子どもと遊びと・・・のびのびふれあいタイムと・・・
  ◆日時  7月7日(土)  午後1時30分〜3時30分
  ◆場所・会費は、第1回と同じ

☆やる順序は、簡単な自己紹介、かとせんの講座、ざっくばらんなおしゃべりです。
    講座の内容は、「やっぱり、きてよかったわ」と言っていただけるるように、かとせんが責任を持ちます。家族の方へのおみやげになるような資料をできるだけ用意します。
すべての人に開かれたフォーラムですから、誰でも参加OKです。A小の校区以外の方も、就学前の子の親さん、中・高校生の親さんもOKです。ご近所、お友達をどしどしお誘いください。
 お子さんは、友達と遊べるようにするとか、留守番を頼むとか、親戚に預かってもらうとかして、できるだけ連れてこない方がいいですが、小さいお子さんがみえる方は連れてきてもかまいません。

フォーラムをはじめるにあたって

A小学校へ来てから6年立ちました。その間に、たくさんの子どもたちや親さんとの出合いがありました。どれもとてもいい出合いで、教えられることがいっぱいありました。「教師としても、人間的にもずいぶん成長させもらったなあ」と思っています。
 昨年は1年1組の子どもや親さん方に励まされ、生きる勇気をいっぱいいただくことができました。「なにか恩返しをしなくちゃあいけないな」そんな思いが強くなってきました。そこで、この「子育てわいわいフォーラム」を始めることにしました。
 「たくさんの人の前は苦手」「個人的なことは言い出しにくくて・・・」という方には、
「出前懇談・出前相談」もします。お一人でもいいし、2〜3人の方が集まられたら、声をかけてください。いつでも、相談に応じます。
連絡先は    A小学校   (加藤 久雄)   メールアドレス
 子育てのことだけでなく、どんなことでもいいです。手にあまるようなことでしたら、高校の先生・弁護士・カウンセラーなど、その道の信頼できるプロの方を紹介したりします。遠慮しないで、声をかけてください。

第3回わいわい子育てフォーラム

  7月7日の第2回フォーラムでは、「夏休み、家族で楽しめるおすすめのスポット」の交流をしました。夏休みの家族計画にお役に立ちそうなので、お伝えします。

白川温泉(加茂郡白川町) 温泉・プール、ゴルフ打ちっ放しなど。かとせんが、新任の時3年間過ごした所。第二のふるさとと思っている所です。
海水浴なら福井県の水晶浜。南知多町の小野浦海岸(内海と野間の間)もいい。 ちなみに、南知多町豊浜がかとせんの生まれ育った所です。
未来会館の夏休みのイベント
三重県川越電力館(すぐ近くに海があり、海水浴も楽しめる)
「子育ておしゃべりノート」に「子どもは言うこと聞かないし、恐怖の夏休みー」と書かれている方も見えましたが、「親子共々、今度の夏休みは楽しかったねえ」と言えるように、知恵を交流し合っていきたいものです。

第3回は、お待ちかねの(?)カラオケ!   ☆日時 7月27日(金)午後7時〜
   ☆場所 岐阜Aクラブ
 加藤の名前で、8人〜20人の部屋を予約してあります。「カラオケはどう
も・・」
という方も、飲んだり、食べたり、おしゃべりして、楽しめます。
 
花の金曜日、お父さん方にも多数参加してほしいものです。時間は9時ごろまで。盛り上がれば勢いで、延長ありです。

  (加藤から7人の親さんへのメール)

  メール、5日ぶりに復旧しました。その間にメールが17も届いていていました。木曜日は、9時から午前1時まで4時間もメール復旧に取り組んだのですが、徒労に終わり、どっと疲れてしまっていたのです。 目はかすむは、肩は凝るは、首筋は痛むはで、体調は最悪の状態でした。第一回の「わいわい子育てフォーラム」、固すぎたかなあと反省しています。もっとみなさんに「わいわい」としゃべっていただくようにしたほうがいいのかなあ? でも「どうやってストレスを解消しているか」は、よかったのでは?と思っています。次回は、どんな「テーマ」にするといいのでしょう? いい智慧をお貸しください。      

 もう10年ぐらい前から、子どもが学校に通ってくるだけで、「えらいなあ。けなげだなあ。」と思っています。その子どもを支えているお母さんやお父さんは、生きにくい今の時代を生き、子育てをし、子どもを学校に通わせているだけで、尊敬に値すると思っています。そんなお母さんやお父さんに、応援のエールを少しでも送りたいと思い、「子育てフォーラム」を始めたのです。お互いに、励まし合い、支え合っていけたらいいですね。「フォーラム」でも話がありましたが、手料理を持ち寄り、子どもは子どもで、親は親で楽しむってのはいいですね。何かを食べたり、飲んだりすると、つながりもぐっと深まるように思います。やりましょうか? わたしも自慢(?)の一品を持ち寄ります。「いつ、どこで、どのように」は、またの機会に・・・・。

   (Sちゃんのお父さんからのメール)

 > 加藤先生、こんばんわ。Sの父です。今日の「わいわい」、嫁から話しを聴きました。 嬉しそうに、話しているのをみると楽しかったのかな‥と思いました。 しかし先生、よく女の人ばかりの前で、話しできますねぇ(´`)私なんか、緊張しちゃいますよ。さすがは、先生。伊達に、私より長生きしてるだけありますです。
 頂いてきたプリントですが、もう少し元気な時にでも、読ませていただきます。さすがに本日は、ヘロヘロなもので…
では、次回もがんばってください。あっ、そうだ!一つ質問なんですが、「こんばんわ」と「こんばんは」どっちが、正しいのですか?

    (Sちゃんのお父さんへの加藤からの返事のメール)
 Sちゃんのお父さん、さっそくのメールありがとうございます。女の人ばかりの前だと、わたしだって緊張しているのですよ。やっぱり、お父ちゃん方にも参加していただきたいのです。本音を言うと、お父ちゃん方と飲みたくてたまらないのです。
 わたしの最初の教え子は40才ぐらいになっていますが、男同士の話のはずむこと、はずむこと・・・。どこかでそういう機会をつくりたいと思っています。その前に、先日、N君のお父さんが「子育ておしゃべりノート」に書いてくださいました。最後に「字が下手で・・・」と書いてありました。確かに、お世辞にも「お上手で」と言えない字でしたが、そんなことは、二の次三の次のことなんですね。お父さんが書いてくださったことに、ものすごい値打ちがあるのですね。やっぱり、この世の中は男と女、子育ても男と女が共同してするものですから、お父ちゃん方にもどんどん登場していただきたいのですね。Sちゃんのお父さんも、よろしく。
 ところで、「こんばんわ」の件ですが、「こんにちわ」もそうですが、広辞苑によりますと、「今晩は」「今日は」が現代仮名づかいということになるそうです。「今日は、ご機嫌いかかで・・・」「今晩は、いかがお過ごしで・・・」を略して言っているのですから、やっぱり正しくは「こんばんは」「こんにちは」になるのだと思います。わたしは井上ひさしが大好きなこともあって、言葉には結構こだわるほうです。人間は言葉によって考えるのですから、これをおろそかにすることは人間をおろさかにすることにつながると思っています。人間は、言葉によって世界を定義し、意味づけすることができる唯一の動物なんですから、言葉には徹底的にこだわっていきたいんですね。お父さんのこだわり、とってもいいことですね。今度「子育ておしゃべりノート」に「子供と子ども」どっちの書き方をすべきかについて、わたしの書いたものを載せる予定です。お父さんは、どっちがいいと思いますか。お母さんと話し合ってみてください。

  ちょっと肩こりがひどいので、今回は手書きでないことをお許しください。
 さて、5月1日から始めた「おしゃべりノート」は、グループが二周りしたところです。わたしも、ノートが返ってくるのが、待ち遠しくてたまりませんでした。途中で、思わず書きたくなることが何度もあったのです。でも、ある方にだけ書いてしまうと「差別?」になってしまうといけませんから、書きたくなる気持ちをぐっと押さえ続けてきました。かなりの我慢がいりました。
9月に出産予定の谷さんへのあたたかい励ましの言葉に、思わず涙がこぼれそうになりました。お母さん方の出産の苦労話。一人ひとりの子が、ほんとうにかけがえのない存在なのですね。気持ちがギュッと引き締められました。
ノートを読んでいると、いろいろな情報がいっぱいで、これからが楽しみです。どんな情報が交流されているのか、少しだけ整理してみました。
・岐阜のおもしろい所を教えて(なおみちゃんのお母さん)
・子どもと楽しめる所ならファミリーパーク(しゅんや君のお母さんより)・・・・・
・城東通り「ぽん太」のネギラーメンとネギ豚骨ラーメン(かとせんより)
その他、「よいペット情報は?」(屋さん)「岐阜から行ける海釣りのよい場所は?」(安さん)「安くておいしいランチのお店は?」(宮さん)「視力回復どうしたらいいの?」(川さん)「日焼け・紫外線が気になるのですが?」(又さん)などなど、「生活の知恵」をうんと交流していけるといいですね。
 
あー、そうそう、ちょっとだけ気になったことがあったので、一言。みなさん、「おしゃべりノート」に「子供」って、書かれてますよね。新聞やテレビの字幕などでも、そう書かれていることが多いです。わたしは随分前から、それでいいのかなあって思っています。そのことについて、書いたものがありますので、紹介します。ご意見などいただけたらうれしいです。
 そこで、クイズ。(どういう訳だか、子どもたちはクイズが大好き。お子さんと一緒に考えてみてください。)  @ペンネームの「石田 丈」は、あるマンガの主人公、二人をドッキングしてつけたものです。その二人の主人公のフルネームは、なんというでしょう。・・・・

  今回も手書きでないことをお許しください。 

 6月18日から始まった二周り目は、夏休みをはさんだこともあり、3ヶ月ほどかかりました。その間に、いろいろなことがありました。
 なによりの朗報は、塩谷さんが無事に男の赤ちゃんをご出産されたことです。9月17日に「お礼のメッセージ」をおしゃべりノートに書いてくださっています。次ページにのせさせていただきます。
 高橋尚子さんのマラソンの世界最高記録、大リーグではイチローの90年ぶりの新人最多安打記録の更新なども、感動的ですばらしい出来事でした。
 一方で、アメリカに対する同時多発テロ事件が起きました。ブッシュ大統領は、「武力による報復も辞さない」との強い姿勢を崩していません。依然として「戦争の危機」が続いています。テロという暴力に対して武力という暴力で対抗していたら、新たな暴力を生み出すだけです。20世紀はそういうことの繰り返しでしたが、21世紀はそうであってはならないと思います。
 アメリカの世論調査では、81パーセントの人々が「テロは憎むが、武力による解決は避けるべきだ」と答えています。日本のマスコミは、そういうことはほとんど伝えず、アメリカの報復に協力するのは当然だとの論調に終始しました。やっとこの頃、読者の欄などに、「武力による報復反対。戦争反対」との声が載せられるようになってきています。戦争は最大の暴力です。それを許さない国際的な世論をうんと強くしていきたいものです。わたしたちは、まずだれよりも子どもたちにそれを語り伝えたいと思います。子どもの命が輝くのは、平和であってこそです。スポーツや芸術のすばらしさに感動できるのも、平和であってこそです。家庭でも、子どもたちに人の命と平和の大切さを、是非とも熱く語ってやってください。
 もう一つ、ごく身近で、心が痛むことがありました。うちの長女(23才)は、この4月から名古屋市の生協病院に看護婦(助産婦)として勤務していました。その娘が過度のストレスと疲れのために「ケイ・ケイ・ワン症候群」になり、2週間ほど休むことになってしまいました。まぶたがふさがって目が見えないという状態になってしまったので、自宅に呼び戻して療養させました。最初の1週間ほどは寝たっきりで、起きてくるのは食事とお風呂の時だけという、痛々しい状態でした。
 この病院に4月から新任看護婦として勤務した人たちの交流会では、「勤務のつらさに耐えきれない」と泣きながら訴えた子もいたそうです。婦長クラスの看護婦さんも勤務の過酷さに耐えきれず、辞めていかれる方もかなりみえるとのこと。この病院は生協の組合員さんの力で造られた病院ですから、儲け本位の病院とは違い、かなり「民主的」に運営されている病院のはずなのですが、その病院にして、こういう現状なのです。体力も気力も充実しているはずの20代の若い人が半年ももたず体を壊してしまう。今、日本は、病院だけでなく、どこもかしこもそういう状態なのかもしれません。日本全体が悲鳴をあげている。なんとかしなくてはと痛切に思います。
 2日(火)に娘は、次の日からの半日勤務のために名古屋へ帰って行きました。無理はしないでほしい。自分の体を大事にしてほしい。祈るような気持ちで、そう思っています。
  話題をガラリと変えましょう。明るいニュースです。岐阜市民生協の常務理事の吉田さんという方から本を紹介されたので、早速買い求めてきました。子どもといっしょに岐阜子育てガイド子どもとでかける岐阜あそび場ガイドです。便利ですぐ役立つ本です。この「子育ておしゃべりノート」といっしょに回します。3〜4ページほどメモしたいとかコピーしたいとかいうページがあったら、お買い求めになったほうがいいと思います。
 もう一ついいニュースを。・・・・・
 さて、「子育てわいわいフォーラム」のことですが、「2学期はいつやるんですか」との問い合わせもあり、何とかしようと思っているのですが、秋は、土日は、組合やら研究会やらでほとんど満杯状態で、わたしの日程が取れなくて困っています。普通日の夜だったらなんとかなるのですが・・・。都合がつき次第案内します。わたしからの案内がなくても、3〜4人集まられる機会があれば、土日以外ならいつでも出向きますから、その気のある方は、声を掛け合ってみてください。
 昨年もお願いした「ゆきとどいた教育をすすめる100万署名」や「子育て文化協同全国交流集会」(12月8・9日)のことにつきましては、別のお手紙でお願いにあがりますので、よろしくお願いします。
 3巡目は、学級名簿の1・6・11、2・7・12・・・というように、グループをつくりました。なかには、前と同じノートが回る方もありますが、全部の方に今までとは違うノートというわけにはいかないのです。ご了承ください。

 

 実践報告 【 A 関係性の再生がどう進んだかを明らかにする 】

「学級集団づくりの構想(班・核・討議づくり)の新しい展開」に関わって、桂川実践の紹介。

 一雄と子どもたち(その後) 

飛騨学級づくりサークル   桂川 清

16.グループやめたい 

 十月半ば。一雄は、生活の学習で拾ってきた木の実や葉っぱで、輪投げをつくりたいと拓也、優子と三人のグループになった。そして、箱で土台を牛乳パックで輪を入れる棒を、ツルで輪を作ろうと考えていた。
 そんなとき、「つまらん。このグループやめたい。」と、一雄が口をとんがらせて話しに来た。「どうして。」私は聞いた。彼は輪投げの土台をつくる箱を持ってくる担当だったのだが、それがなくて拓也に「一ちゃん、持ってこないからだめ。」と怒られたのだ。私の持っていた箱をあげたが、ふたの部分と底の部分をひっつけて台にしたとき段差ができ、輪を入れにくいと拓也は言うのだそうだ。
 私はグループを呼んだ。
拓也「(段差があると)いっぱい離れるで、輪が入れにくい。」
一雄「そんなことない。」と怒った顔で。
私「優子はどう思う。」
優子「段差があった方が入りにくくておもしろい。」
私「どう。拓也。」
拓也「いや。」 
私「じゃあ、やってみたら。入りにくいかどうか。」ワークスペースのところでやってみる子どもたち。

  そして、私の所へ来て、
私「どうだった?」
拓也「またまた、頭に浮かんだ。牛乳パックをもっと細く切ればいい。」
一雄「そうや。それなら入る。」
私「なるほど。それなら、入りやすいよね。拓也、アイデアいっぱいだね。さすがリー  ダー。」
拓也「ぼくね。何か頭に浮かんでくるんだよね。」
私「すごいねー。じゃあ、みんないい。」
みんな「いい。」
優子「優子、どんぐりの実を貼りたい。一雄君、貼ってくれる。」
一雄「うん。」
一雄「ぼく、恐竜も作って貼る。」
拓也「じゃあ、まつぼっくりで草、作ったら。」
みんな「いいよ。」
私「楽しみだね。」
みんな「うん。」
 帰りの会、私は一雄がいやと言えたことと、拓也のアイデアで解決できたことを話して二人をロケットジャンプした。二人はニコニコした顔で宙に舞った。
 私は一雄には、話し合うことで自分の思っていたことが実現できるようになる(できないときもあるが)ということを経験させていく必要があると考えていた。なぜなら、今まで自分の要求が正しく受け止められず、それを出すことに大きな抵抗を感じ萎縮してしまっていたのだから。一雄が「いや。」と言えるようになったことは大きな成長である。まずその「いや。」を受け止めていこう。また、拓也には解決の方法を考えたことでみんなが楽しくできた経験から、より自信を持って中心になって活動してほしいと考えていた。

17.仲間の中での一雄

 その頃、一雄は給食で配る物の取り合いをし、ノートやテスト配りでも真っ先に飛んできて一人で配ろうとして仲間と言い合いになる場面が出てきた。以前はそんなことには何も興味がないかのように座っていたのだが・・・。その頃とは正反対の行動である。これから、みんなの中で自分の要求をどう表現していくかが課題となるだろう。 
 十月末。八、九月分のお誕生会を開くことにした。自分の成長を喜び、仲間の成長を喜び合う場になればいいなと考えていた。そこでも、一雄は「ぞうさん」が歌いたいと要求し、他の子の意見も考えて話し合いの後、「ぞうさん」を含めて三曲歌うようにみんなで決定した。
 同じ頃、他の子に対して良い行動を積極的に行おうとする姿が見られるようになる。
 例えば日直(二人で行う)の時、彰子が泣いていると、その分まで大きな声で司会をしたり、他の子の歯ブラシがバラバラになっていると、そろえて私に言いに来たりするようになってきた。今まで、周りに対して良いことをしてほめられたいという行動は見られなかったが、それが表現できるようになってきた。周りの目を否定的に感じて、自分が良いことをしてもうまくはできないし、認められないと、自分のやりたいことやできることも閉じこめていた以前の一雄とは大きな違いである。
 この仲間の中でなら自分を出しても良いと感じられるようになったから、そうした行動が出てきたのだろう。

18.泣くの、初めて見た

 また、一雄が国語の時間、やり方がわからず泣いた場面があった。それを見てすかさず子どもたちは、「泣くの、初めて見た。」「保育園では、一回も泣かなんだよ。」と口々に叫んだ。そう言えば初めの頃の彼の表情は掴みにくかった。泣く場面は一度も見たことがなかった。
 それは、周りが怖くて自分を閉じこめていた為、感情も自然に出せなかったということなのだろうか。それにしても、一雄を見ていると、人が試行錯誤しつつ成長していく姿に感動を覚える。

19.すねていかんよ

 三回目の班替え。社会見学へ行くグループをくじで作った。一雄はそこで正男と一緒になる。正男は、二人兄弟の次男。保育園時、発達検査で遅れがあると言われた子である。
 その正男が、十月初め頃からすね出す。それを見た子どもたちは「初めて、すねた。」と口々に言った。今まで正男も、一雄のように自分の要求を押し込めてきたのだろうか。いや、彼の発達段階がそうさせるのだろうか。彼はできないときは、よく「疲れた。」と言う。そして、行動にはとても時間がかかる。
 正男は、お誕生会の歌決めでは、「ハッピーバースディ」が歌いたいと主張し、一時間の話し合いでもゆずらず、みんなは三曲歌うが彼だけ「ハッピーバースディ」の歌しか歌わないということで決定したこともあった。その時、「正男君さみしいで、ぼくも一緒に遊んどるわ。」と言ったのが、正男と同じ班の泰造(三月生まれ)である。正男はすねることが日常化してきた。家でも「この頃、毎日すねています。」と母親。
 しかし、一雄はそんな正男に関わりを持ち始める。正男がすねて教室の隅の方へ行くと、側へ行って話しかけたり、わけを聞いた。また、ドッジボールの話し合いでは、正男が、「(自分だけが)ボールを投げたい。」と言い、「私だって投げたい。」と言う女子の言葉にすねて教室を出ていこうとしたとき、一雄は「授業中やですねていかんよ。がまんしな。」と泰造と共に両手を広げて止めた。
 帰りの会、私はすねて出ていくのをがまんした正男とそれを止めた一雄、泰造をロケットジャンプしてほめた。
 その後の休み時間、一雄と正男、拓也は一緒にボールを私に当てて喜んだり、三人でボールの投げ合いをしたりした。また、一雄は算数で正男がわからないとき、「ぼく、教えてあげる。」と言って側へ行った。
 何か自分がしてもらったことを追体験しているかのように・・・。 
 一雄は正男の中に自分を見ているのかもしれない。これから、正男との関わりも楽しみになる。

20.ニンジンマンごっこ

 十一月初め。良司(チックが見られる。神経質で、自分の行動に自信が持てない面がある。)が「ニンジンマンごっこしよ。先生はマッチョマン。」と、ニンジンマンノートを描いてきた。そこにはいくつかのキャラクターと様々な技が描かれていた。
 「変身。」「マッチョマンチョップ。」「ニンジンパンチ。」などと言いながら二人で遊んでいると、一雄や泰造、拓也も参加。一雄は、キャベツマンになった。一雄は、私を思いっきり蹴ったり、たたいたりしてくる。力の入れ方がわからないのだなと思いながら、私は言った。
「一ちゃん、思いっきりやったら痛いよ。もう、遊べなくなる。」そこに、良司が来た。良司「一ちゃん、本当でないで。つくっとるで。本当に悪いやつは、ちんちんドカーン   って蹴ってやればいいの。先生は、悪くないで。」良司が助け船を出してくれた。
私「手加減してよね。」
良司「そうや。先生かわいそう。」
一雄「トレーニングしよ。」そう言って、パンチやキックをやってみる一雄。
「これぐらい。」と私に聞きながら、パンチを打ってみる一雄。「そんなやさしくなくても良いよ。」と私。次のは、強い。「痛てててて・・・。真ん中ぐらいの強さで頼むよ。」と私。

  一雄は他者との関係のとり方がわからず、力の入れ方もわからないのだろう。そうしたことも仲間の中で学んでいく必要がある。良司は、楽しいごっこ遊びを考える名人である。だから、そういう場面では、リーダーになることができる。一雄ともそうした遊びを通して良い関係をつくれるかもしれない。
  その後、良司は「先生、朝の会でニンジンマンショーやっていい?」と私に話しに来た。私は「良いよ。」と答えた。そして昼休み、一雄や拓也も一緒に練習する姿が見られるようになっていく。

 21.ぼくはどうせバカ

 十一月半ば、一雄は、算数のくり下がりのテストで90点をとったのだが、自分で0点と書いてゴミ箱へ捨てようとした。
私「一ちゃん、どうして捨てるの。」やさしく聞いた。
一雄「ぼくは、どうせバカやで。」と投げ捨てるように。
私「そんなことないよ。一ちゃん。一つ違っただけじゃない。誰でも間違いはあるよ。」私はくしゃくしゃになったテストを広げながら言った。
一雄「ぼく、できんも。」
私「一ちゃんならできるよ。」
私「だってね、この前タイルが頭に入って、くり下がりできるようになってきたじゃな  い。そうでしょう。絶対大丈夫。もう一回やってみ。」
一雄「・・・」
私「やってみよ。はい、テスト。」そう言って、同じテストをもう一枚差し出した。
一雄「・・・うん、やる。先生の席でやる。」
私「えらい。一ちゃん。」私は彼の頭を一杯なでた。
 一雄は、間違えた自分に腹が立ったのか。周りからの満点へ期待のまなざしにこだわり、できないとバカにされると感じたからなのか。みんなと同じような点がとりたかったのにとれなかったからなのか。なぜかはわからないが、自分を否定した言動をとった。でも、そうした自分をあきらめずに、再度挑戦した。
 それは、みんなと同じようにできるようになったという自分への自信や、失敗しても大丈夫という彼の中に内面化したもう一人の肯定的な他者を支えとして、できないことにも挑戦をし始めたということなのだろうか。
 これからの生活場面でも、できない自分に出会わざるを得ない。そんな時、どう自分とつき合っていくかが今後の課題になる。

22.「泰造くじら」と「一雄ブタ」

 さて、班の中での一雄はというと(泰造と一緒に)、毎時間すねてオルガンとドアの隙間に隠れるようになった正男の後を追っていく。
 以前、すねた正男にボールを渡したら、彼が私にそのボールを当て返した。そして、私は当てられないように逃げ、そんな中で正男も笑顔になるということがあった。子どもたちもそれを見て、「(すねていた)正男君が笑った。」と言い、彼にわざとボールを渡すこともあった。
 そうしたある日の授業中、泰造と一雄はすねて隠れた正男の側で、大きな声で話をし始めた。「四時間目のことです。一年二組の子どもたちが体操をしていると、空に、「泰造くじら」が現れました。」と国語の『くじらぐらも』の一節をまねして泰造。「「一雄ブタ」も現れました。ブーブーブー。」と一雄。正男は「こらー。」と言いつつ二人をたたくようになった。正男は笑顔になって外へ出てくるようになってきた。
 「先生、正男君、ニコニコしてきたよ。」と一雄。「すごい。「泰造くじら」と「一雄ブタ」作戦。」と私。大笑いするみんな。泰造や一雄、正男も大笑いしている。

  帰りの会で、私は作戦を考えた二人をロケットジャンプ。正男も、すねる時間が短くなったということでロケットジャンプ。三人は嬉しそうな顔で宙に舞った。理由を聞いて解決していくということは大切だが、すねることでどうしようもなくなった自分のやり場のない気持ちをときほぐすこともまた、大切なことだろう。
  一雄は、良司を中心としたごっこ遊びや、班の正男と関わる中でのごっこの世界で
自分を表現することの楽しさなどを追求しているのかもしれない。

23.ちゃんと大きい声で

 家庭(母親)との関係づくりについては、どこから手をつけて良いのか余りわからずにいた。だから、今まで通り連絡帳、「親ノート」などで連絡をとっていた。彼の成長を見て喜んでもらったり、子育てに自信を持ってもらうことが大切と考え、その都度彼の成長を書いていた。だが、それを肯定するような共感的な応答はほとんどなかった。私が書くようなことは些細なこと、できて当たり前、家では変わらないなどと考えてみえたのだろうか。
 それでも、九月末の運動会では、「ちゃんと照れずにやってくれるか心配でしたが、がんばってやっている姿が見れて嬉しかった。」という返事。誕生日会をしたときには、「すてきな誕生日の贈り物ありがとうございました。」など少し返事が返ってきた。しかし、書いてあることの多くは、家で宿題などがしっかりできないことや、すねることなど彼の否定面であった。
 十一月末の祖父母交流会。一雄は「得意なこと」で、ボールが速く投げられるようになったことを発表した。また、国語の『くじらぐも』の劇も発表した。彼は、その台詞を大きくはっきりした声で話すことができた。(台詞については、練習中ふざけて言うときもあったが、言い方を周りのみんながほめてくれたり、注意してくれる中で自分でしっかり言えるようになってきていた。)
  次の日、母親から連絡が来た。

  おじいちゃんも、ちゃんと大きい声でできたと報告してくれました。
 保育園の時は、恥ずかしいからかどうしても羽目を外してしまい、みんなと違った行動をとってみたりを祖父母参観でもしていたのです。だから、おじいちゃんも一雄がちゃんとやらないなら行かんぞなんて言い、内心悪ふざけするのではないかと思っていたんだろうと思います。保育園の時は参観が終わって帰ってくると「まったく、一は・・・。」と言い、報告はなかったのです。
 実際、私の今までいった(学校も含めて)参観日で、嬉しい気持ちで帰れたことは一度もありません。だから、おじいちゃんがいい報告をし、おじいちゃんも楽しかったよなんて言ってくれて、何か一ちゃんがずいぶん成長してくれたかと思うと嬉しかったです。
 十二月にまた参観日があります。私の顔を見ても今のままの一君でいてくれたらいいのだけど・・・。子どもたちの「くじらぐも」見てみたいですね。

 この連絡から考えるに、母親が一雄の態度に相当辟易していたと考えるのは想像に難くない。親や祖父母が保育園に参観に来る機会は、年五回の計十五回。親にしてみれば、その度に期待を裏切られてきたのだから。しかし、小学校になれば彼は変わるかもしれないという大きな期待を抱いてみえたとしても不思議ではない。
 なのに、四月末の参観日。彼は話を聞くどころか、耳、鼻、口に鉛筆を入れ、机の上に乗って踊り出した(他にも三人)。そして、いすに座っていることはほとんどなかった。次の日、理解してもらえていそうな親から「先生、学級崩壊?」という連絡が来たのもうなづける。七月の参観の時も、彼はふざけていて私に厳しく注意されたのだった。
 小学校での二回の参観日。またもや親は期待を裏切られたわけである。とすると、学校(私)に対する見方も、一雄を指導できていないということで肯定的にはみられないだろう。加えて、祖父(母?)からの親の子育てができていないというプレッシャーもとても大きなものだったに違いない。
 そう考えるならば、親が周りを信用できず彼を抱え込み、私の言葉も受け入られなかったということも、もっともかもしれないと思えるのである。
 しかし、今回の連絡では、親がほんの少しは心を開いてくれたような気がした。それは、祖父の参観を通して、一雄が確実に変わったことを目の当たりにしたからであり、それを、祖父も認めてくれたということによってであろう。

24.めちゃめちゃふかない

 さて、私は今の一雄は苦手なことに仲間と共にどう挑戦していくかが課題だと感じていた。仲間のようにできるようになりたいという気持ちを表現できるようになった一雄。算数のくり下がりなど、私との関係の中でつまずいたときもあきらめないようになった一雄。
 しかし、彼は音楽の鍵盤ハーモニカをふくことがほとんどできず、一学期はまったくやらなかった。私は彼が必ず鍵盤ハーモニカができるようになるという確信はなかったが、苦手なこともあきらめず挑戦し、仲間の中で自分でもできるという自信を持たせたいという願いがあった。
 そこで、グループでの教え合いを通して、仲間の中で少しでも挑戦できればと考えていた。一雄の班は、一雄、泰造、正男、南、加代子の五人である。南と加代子は上手に演奏することができた。泰造と正男も何とかゆっくりふくことができた。

  演奏曲は、『きらきら星』。「シールはり作戦」、「一緒にふく作戦」、「ドドとか言う作戦」など、作戦を考えながら一雄を教えている南と加代子。隣で泰造は正男を教えている。
 今日のグループの目当ては、「めちゃめちゃふかない」だ。練習を始めてしばらくして突然、南が「一雄君、できた。」と目をまん丸くして叫ぶ。加代子も嬉しそうだ。側へ飛んでいって頭をなでる私。泰造も笑顔で一緒になでる。正男は、隣で笑顔で拍手をしている。「やったね。一ちゃん。」「すごい。」と子どもたち。その後も、失敗しながら、何度も練習している。そんな一雄を見たのは初めてだ。
 とその時、教科書を片づけ始める一雄。
私「一雄、どうしたの?」もう疲れたんだろうか。そんな考えが私の脳裏をよぎった。
一雄「・・・・。」
南「(教科書を)見ないで、ふきたいんじゃない。」
私「えー。なるほど。」私は、南の答えにはっとした。彼は教科書を見ずにふき始めた。
私「えらいぞ、一ちゃん。」
私「南ちゃん、一ちゃんの気持ちわかるんだ。先生よりすごい。さすが、リーダー。」 私は頭を何度もなでた。私などより、もっと一雄を肯定的にみている南に感心しなが ら・・・。
南「プニュー。」満面の笑顔で返事をして、私にひっついてくる南。甘えん坊の彼女の 照れ隠しの時の仕草である。
 終わりの会、私は一雄の挑戦を誉めながら、ロケットジャンプした。また、南のやさしさを誉めながらおんぶした。二人とも、とても嬉しそうな顔をしていた。

  一雄は、仲間と共に苦手なことにも挑戦することができるようになってきた。それは、周りの子たちの励ましと、それに素直に応答できるようになった一雄の成長である。そして、南のような一雄の内面を理解し肯定的に受け止めることができるリーダーの存在も大きいと言えるだろう。

25.言いたい

 授業参観を明日に控えて、最後の『くじらぐも』の劇練習。練習が終わって、感想発表が終わった頃、「もう一度言いたい。さっきの練習の時は声出なんだもん。昼休みに走り回って疲れたで。」と拓也。「良いよ。」と私。拓也は、間に気をつけて大きな声で言うことができた。みんなから拍手。
 これで、終わりと思っていると、突然一雄が挙手。「言いたい。」と。周りから驚嘆の声。一雄は、最後まではっきりとした大きな声で言うことができた。周りから大きな拍手。そして、「一ちゃん、すごーい。」という歓声。明日がとても楽しみである。

  参観日、親の前で、以前とは違う自分をみせることができるのか。それは、私にとっても緊張する場面なのだが、彼にとってはもっとそうなのだろう。一雄はそのために、十五回の練習をしていたのだった。この「言いたい。」は、自分はできるという最後の確認をみんなにしてもらいたかったのではないだろうか。

                                               (未完)

 今回の基調提案は、実践報告しながらおこなうということで、実践を載せました。これらの実践から何を学ぶかが、この合宿研のテーマです。

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