岐生研 2010年基調提案

「貧困」をみすえた学級・学校づくりの
           理論・方法をつくりあげよう

1.子どもたちを覆う「貧困」の実態

 現在、「貧困」が構造的につくられている。そこが、昔からあった「貧乏」とはちがう。昔はみんな貧乏だった。ただ、人間関係が豊かだった。みんなが貧乏で、困ったときに隣の家にしょう油を借りるなどということも、普通に行われていたらしい。高度経済成長の中で、多くの人が経済的に豊かになった。「一億総中流」と言われる中、貧乏な人はごくわずかだった。現在、「貧困」が広がっている。「勝ち組」と「負け組」に分かれた。「自己責任」の中で、「負け組」で貧乏になった人の受け皿がなくなっている。近隣社会からも放っておかれ、行政からも放っておかれる人も多かった。そんな社会の中で、今、私たちは生きているし、子どもたちを育てている。

 私が昨年度担任したクラスは33名で、そのうち母子家庭が8名であった。必ずしも母子家庭だから貧困というわけではないが、この数は初めてであった。また、学年全体として、給食費や教材費などが滞る家庭が多かった。この学年は、2年生以降必ずどこかのクラスの担任が代わり、私で担任が10人目という子もいた。6年生になるときにも持ち手がなく、6年生3クラスのうち、転任して担任になったのが、私を含めて2人だった。

 私のクラスに、拓也がいた。彼は、母親が父親のDVによって離婚調停の途中であった。入学したときには、市内のA小であったが、父母の別居により、父親の実家である隣の市に引っ越した。その後、母親の話だと「父親のところから私のところに逃げてきた」、別の人の話だと「父親のところから母親が奪ってきた」という経緯により、また市内に戻ってきた。しかし、転校できず、3ヶ月ほどどの小学校にも通わない時期があった。

 この学校に入ることになったが、精神的にはかなり不安定で、母親が精神科に通っていたが同じクリニックで彼自身も診てもらっているという状況だった。そんなわけで、学校も休みがちであったし、いじめられやすい子でもあった。回りが荒れている状況であるので、拓也はみんなが行く公立のA中に行くことは希望せず、私立に行くことを選んだ。ただ、母親が生活保護を受けている状況もあるので、周囲は「無理だ」と言った。しかし、母親は父親から学費を出してもらうという約束をとりつけ、自分は、その私立のある市内で必死に職探しをした。私も、夏休み・冬休みなども含め、学力面でバックアップした。何とか私立に合格し、卒業後は、その私立に通っている。彼がそこで、安らぎを得ることができるのかどうかは分からないが、母親は、とりあえずA中に行くことは無くなってホッとしている。ただし、まだ卒業時には母親の仕事は決まっていなかった。経済的に、今後どのようなことになるのかは、分からない。

 昨年度、春の1日学習会のレポートに出てきた「村井美奈」は、自身の発達障碍に加え、病弱な家族を抱えていた。

 秋の合宿研のレポートに出てきた「秀之」は、さらに深刻である。秀之は場当たり的な躾をする祖母に育てられており、食事は家族がそれぞれバラバラにとっている。兄弟は暴力的な力関係になっている。父親はいない。母は精神疾患であり、その母は3人目の秀之が男だったことに落胆して、育児をあまりしていない。また、現在はパートナーと一緒に暮らしていて、家にはたまにしか来ない。そのような家庭で、秀之は育っていた。

 秀之について、合宿研の研究総括の中に以下のような文を書いた。「母親に捨てられたのも、声をかけてくれる家族がいないのも、家族がバラバラにご飯を食べるのも、秀之にとっては小さい頃からの『当たり前の姿』なのですが、その育ち方によって、現在の自分がいる。その自分というのは、『クールダウンできない』『自分の気持ちをわかってもらえないと感じている』『クラスメイトが自分を無視していると感じている』『どう甘えて良いか分からない』『自分の気持ちをうまく表せない』『分からないから勉強する、のではなく、分からないから勉強に参加できない(できない自分を見せたくないから参加できない――篠崎先生の講座から)』というものです。だから、例えば、『先生が信頼できる』と徐々に感じていった結果、先生のひざの上に乗る(体で甘える)こともできるようになったのでしょう。」

 そもそも、秀之の「反抗性挑戦性障碍」というのは、「脳の機能障碍や遺伝的要素に、愛情の欠如や虐待などの要因が加わって発症すると考えられている」らしい。現在の秀之の行動は、やはり秀之の育ちなくしては、考えられない。

 昨年度、岐阜県教職員組合が行った「子どもの貧困」実態調査では、県内の様々な例が示されている。「修学旅行に行けない」「アルバム代が払えない」「給食費などの取り立てに行くと、かくれている」「受験料を振り込めずに高校受験できない」「せっかく合格した高校に、お金がなくて入れない」「保険証が切れていて、病気になっても医者にかかれない」「『今のお父さんは5人目で、やっとちょっといい人やよ。今までは最悪やった。食べるご飯が何日もないのに、酒を買ってくる父親に腹が立って・・・・』という高校1年の女子生徒」「何日もご飯を食べていなくて、財布の中身は5円、給料日まであと10日、冷蔵庫の中も空で、米もない、定期もあすで切れる、という高校生」など、子どもたちがまっとうな人間らしい生活の中で育つには程遠い実態が多く出されている。

 昨年の私のクラスにいた拓也は、暴力に対して敏感だった。暴力的な力関係を続けてきた中で、他の子たちが慣れてしまったような暴力に対してもおびえ、遅刻したり欠席したりした。友だちづくりも苦手だったが、彼にも仲の良い友だちができた。ただ、その友だちが言った一言一言に傷つき、他の子はキレないようなことでもキレた。そのことで友だち関係を悪くしてしまうこともあった。ストレスがたまるとまつ毛を抜いていく癖があり、ひどいときにはまつ毛がまったくないこともあった。

 しかし、まだ、拓也はましだった。彼には母親がいた。「ぼくはマザコンだ」と言ってはばからない母親がいた。その中で、母親の願いでもあり、自分の願いでもある私立中学に向けて受験勉強もがんばることができた。また、友だちも最後まで拓也を見放さなかった。

 隣のクラスには、良哉がいた。良哉は父と妹との3人暮らしであり、食事もまともに作ってもらえなかった。もちろん、給食費や教材費などは滞った。その中で、彼は、暴力を繰り返していた。現在、中学になり、1年生として緊張した生活をする中で、学年全体としては落ち着いていたらしいが、最近、この良哉はそろそろ生活が崩れ始めたらしい。また、隣のクラスには夏美もいた。夏美は、両親がそろっているが、塾や習い事が学童保育代わりで、両親には放っておかれている。母親はほとんど家で料理をつくらず、外食ばかり。学校の中では、友だちとトラブルを繰り返した。彼女は、子守代わりに入っていた踊りのサークルの中で、団長の大人の人から声をかけてもらい、かろうじて崩れきらないで生きていた。

 「どんとこい貧困!」(湯浅誠)という本の中に、「貧乏と貧困はちがう」ということが書いてある。貧乏でも、人間関係が豊かで頼れる人がいて、「自分はがんばれる」と思える人は、貧困ではない。逆に言えば、貧乏ではなくても、夏美のように、親に育ててもらえず、自分の居場所を見つけられない子は、貧困の中で育っていると言っても良いと思う。

2.踏ん張っている岐生研の仲間

 子どもたちが、家庭の中で貧困な人間関係しか結べていない状況が広がっている。「貧困」の中で、人間関係をつなげるのが困難になっている。しかし、そんな中で、岐生研の仲間も踏ん張っている。

 一日学習会でのレポーターは、美奈の思いを学級会の中でみんなに認めてもらったり、社会科の学習や日常生活の中で仲間とつながる活動を増やしていったりする中で、美奈が次第にわがままを出せるような関係をつくりだしている。その上で、分析では批判もあったが、「気球に乗って」という授業の中で、美奈と他の子の関わりをつくりだそうとしている。その中で、美奈は、休日にも仲間と誘い合って遊ぶというような関係もできてきた。

 合宿研でのレポーターは、まずは、教師自身が秀之の味方に立ちきり、秀之が安心して先生に甘えられるようにしている。今まで、家庭の中にも安心して甘えられるような関係が無かった秀之が、まずはそのような大人を見つけたのである。また、道徳の時間を利用して、一人の問題をみんなの問題として考えあうことを繰り返す中で、あるいは、学活の時間や休み時間などのやり取りの中で、仲間同士が頼ったり頼られたりする関係になるようにしている。

 県内のある先生が勤める学校の1年生は、暴力による力関係の中で小学校時代を過ごしてきた子どもたちだった。その中で、発達障碍を抱えたTが、Y男やR男など多くの子からいじめを受けているという実態があった。Y男は、「怒るのが面白いからからかう」と平然と言う。そのY男は、妹が自閉症のため、自分はあまりかまってもらえなかったという歴史を持つ。先生は、そのY男や両親とていねいな対話を重ねている。R男は、「俺も切れたくない! でも、気持ちを抑えられん! 俺、小4からおかしくなった。・・・」と言う。そんなR男に先生は、Tの心の中の動きをていねいに解説しながら、「・・・人と関わりを持つのが、R男のめちゃくちゃいい所やないか。先生は、R男にTと友だちになってほしいと思ってるんだ・・・」と話している。また、Tに対するいじめを考えることは、この学年の他の子たちも安心して生活できる空間をつくり出すことになると考え、Tの実名を出したアンケートを、校長先生とも相談しながら実施している。

 別の先生のクラスの子は糖尿病。お母さんは「家族の団らんが夢だった」と言いながら、お父さんは帰りが8時で自分は10時。夕食は子どもだけで食べるという実態。家族で食事を管理しなければ病気は治らないが、それができないという実態がある。それを、母親と本人と担任の三者で「どうやって品数を増やすか、盛り付けを初めからしておくために、姉妹で一緒に食事をする。そのときのリーダーは・・・。みんなで一緒に食事をすると良い点は何か」などを一緒に考える、そんな懇談を行っている。

3.「貧困」という視点で実践を

 県内のあるサークルに足を運び始めた先生の話の中に「今までは、荒れた子を見ると、『何、あの子!』というふうにしか思えなかったが、『なぜ荒れているのか』を考えられるようになった」という言葉があったそうだ。ある岐生研の仲間の言葉に「『貧困』というフィルターをかけて見ると、その子がよく見えてくることもある」というものもあった。

 その年齢年齢に応じた育ちをくぐっていない(育ちそびれ)というものが、「貧困」の中でものすごく増えている。県内でも、この「貧困」をキーワードにした学級づくりや学校づくりを考えていかなければならないところは増えている。

 岐阜ではないが、全国には「貧困」をもとに学校づくりをしているところもある。指導要領どおりに教えるのではなく、中学を卒業してすぐに働く子たちを意識しながら、自分たちでカリキュラムをつくっていく。そのような学校もある。

 昨年度の全生研基調提案の中に、クラスの子どもたちみんなで、あるいは、クラスの親の中で、さらには地域の中で、育ちそびれた子を、そしてその家庭をも助けていくようなネットワークを作っている学校のことも、紹介されていた。

 1月に行われた東海北陸地区セミナーの基調の中で、藤井先生は、「『みんなで正社員を目指そう』という指導は、半分しかないイスを取り合うゲームに子どもたちを追いたてるようなもの」また、「自分から、正社員ではなくフリーターを選ぶ人に対して『わがまま』という論調があるが、正社員が、アフター5がないような状況で働かされていることが問題」などと言われた。「勝ち組」になったところで、減らされた人の分まで働かされ、経済的に貧しい人が多くなる中で税負担も多くなる、結局、誰も得する人はいない。「勝ち組を目指すのではなく、みんなで幸せになることを追求する哲学へ」という藤井先生の言葉を、実践に移していくことが求められているのではないか。

 「苦しい」「いやだ」「こういうクラスにしたい」など、何でも言える空間をつくっていく。人間関係が切れている状態(=暴力)の中で、コミュニケーションをとれる能力を身につけさせていく。思いを伝えられる、思いを受け止められる空間、ものが言えない生きづらさから解放し、ものが言える空間づくり、分かりあえる仲間づくり、安心していられる居場所づくりをしていく。そんな力を、私たちはつけていかなければならない。

 そのために、私たちはどんなふうに、「班づくり」「リーダーづくり」「討議づくり」「学びづくり」をしていけばよいのか。「貧困」という視点をもとに、何を大事にし、どのような実践を進めればよいのか。私たち岐生研の仲間が、それぞれの実践を積み上げ、年間を通して記録し、サークルなどで検討する中で、「力で『勝ち組』に追い込んでいく」という方法に対抗できるような「理論」や「方法」をつくりだしていかなければならない。そして、それをたくさんの仲間にも広げ、サークルを大きくし、岐生研を大きくしていきたいと思う。


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