岐阜生研・99年度 春の総会合宿研 研究総括

1999.7.10   田中 秀樹   

1.基調提案とそれをめぐる討論について

 だいたい毎年のように、岐阜生研の基調提案をめぐる論議というのは不充分・不満足で終わることが多い。基調の文責者としては今年もやはり不満が残った。提出する側、参加する側、常任委員会の側として、基調提案への態度を自問し考えたいと感じた。以前に「基調提案は自分たちにとって実質的に必要なのか?」という意見もあった。私は個人的に、基調提案とそれをめぐる論議というのは、研究活動それ自体が自立的であるべきという意味において研究集団にとっては不可欠なものであると考えている。つまり本来、質の高いインディペンデントな研究集団ほど、合宿研のような研究集会では基調提案の学習、論議や実践分析のもつ価値が相対的に講演講座よりも大きいはず。学びがそれだけ主体的で豊かなのだ。その意味で基調提案の論議を参加者の主体的な参加によって豊かなものにしていくことが、岐阜生研をより質の高い実践研究集団にしていくのだ、そしてその研究論議から展開される「授業と学び」の実践こそ子どもの主体的学びの創造に結びつく、そのような認識があっただろうか。そしてそれは主催者、参加者、提案者の三者がそのように共通して捉えられて、はじめて実質的にそうなるのである。逆に講演・講座で「いい話」を聞きにくるだけの集会とは、実質的に研究集団とはいえない。はたして岐阜生研は基調提案とその論議を三者が必要とする研究集団であるのだろうか。基調提案とその論議がもつ研究集団としての意味や値打ちとは何なのか。教師にとって「目の前の子どもをどうするか」だけが問題なら、とりたてて基調の提案も論議も必要ないのである。

 主催者の側・・・論議の方向をある程度予測して、時間は2時間はとりたい。趣旨説明もしたい。打ち合わせして意図的にリードする。

 参加者の側・・・主体的な実質的参加型学習の経験がないので、よほど主体性を意識的に発揮しないと、垂直的な学びの世界から脱却できない。基調提案の論議に主体的に参加できる内実を創り出す。

提案の側・・・・「難しい」と云われる。自分では難解な言葉は使用していないつもりである。シエマとして使用しているのに、なぜ「カーニバル」が難解と云われるのか?文体が捻れるのは癖。研究担当が基調の文責になる必要はないのでは?次は誰か別の人に・岐阜生研のため!

2.篠崎講座から〜教師の原則性と楽天性、そして・・・

a.「へその緒」と「堪忍袋の緒」

 女性教師の参加がいつもより多かったのは、講師が女性であったということ、男性講師には期待できない何かが期待できると云うこと、生活指導誌などで紹介されている篠崎氏の実践について注目していた女性教師がいたと云うことなどが理由に挙げられるだろう。実践家だけに具体的で子どもとのやりとりの再現が随所にあり、独特の明るいトーンの講座であった。ある女性教師は、講座の後でうれしそうに「今日はエネルギーを分けてもらった!」と何度もつぶやいていた。なるほどエネルギーを感じさせる講座であったが、その結果それが参加者に「分けてもらえる」かどうかはまた別の問題である。ただ明るいだけでは参加者にとって癒されるどころか、逆に嫌味で反発すら感じさせることもある。なぜならその教師の性格的な属性としての単なる「明るさ」など、学べないからである。

 たしかに篠崎氏の語り口は「痛快」「軽妙」といってよいものではあったが、それとは裏腹にその軽やかな語りの内容は相当に重いものであった。男性教師担任の5年時に完全に崩壊し、クラス分けをした6年時もスタートから教師の指導がほとんど入らない、掃除はしない、授業では2,3人しか手を挙げない、徹底して教師を無視してくる女子グループ、学校へ行くのが苦痛に感じる毎日。しかし篠崎氏はねばり強くアキを中心とする女子グループの精神的背景、家庭の状況をつかみ、父親らとも対話しながら、またやや頼りないがあったかムードの「生きがい事業団」の正義派男子諸君(話の中に何度も登場する事から、篠崎氏の実践中で精神的な支えともなったと思われる)らとも共同しながら、しだいに学級は学びを共同し再生していく。そこにおける教師の指導性のポイントとは何だったのか。

 この講座の中で篠崎氏は、全生研会員通信でも話題になった「くそばばあ論争」のことに触れられた。「くそばばあ」と子どもに罵られたときにどうするか。実際に氏の物語の中にも、氏が無視され続けてきたアキという子どもに反抗される場面でどう対処したかという部分があった。子どもへの指導とは、このように即決性を伴うことがある。教師に対して「くそばばあ」と切れた子どもに対し、教師はどう対処するか、いわゆる「逆切れ」(感情的になって怒りを向ける)するか、聞かなかったことにする(つまり無視)か、別の決断をするか。この場合のアキは教師の逆切れを挑発している、つまりどの程度の教師かを探っていると篠崎氏は捉えた。

 教師は場合によっては「切れる」ときがあってもいい。氏は自分が「切れる」時は3つに決めていると云われる。それは、 @「他に怒ってくれる子どもたちがその場にいる時」 A「そうすることが集団の討論を通じて学習になると思った時」 B「人間として許せない、差別に関わるようなこと」

 しかも切れた時には、必ずその後でしっとりと語って聞かせる。そしてそれが通じる関係であることが必要である。教師が切れた時に、子どもとの関係がそのまま切れてしまうのであれば教師は切れてはならない。この場面でのアキとの場合は、氏はとっさにどうしようかなーと考えたが、いわゆる「逆切れ」と「無視」は、アキたちとの関係を切ってしまうことになるのでやめよう。それよりも今まで無視し続けてきたアキたちが、どういうわけかここでは反抗というかたちで教師に向かってきてくれたことに、氏は喜びを感じたという。つまりこれが氏の云う「へその緒」の関係である。

 そしてこれは「くそばばあ論争」への氏の回答と考えられる。いわゆる「切れる」というのは、怒りの感情が暴発して「堪忍袋の緒が切れた」ということである。篠崎氏は「堪忍袋の緒を切るか」つまり「へその緒を切るか」と考えた場合に、それが子どもとの新たな「出逢い直し」を断つことになるのならば、へその緒を切ることはできない、と考えたのである。

 氏は上記の3つの時には3年に一回くらい「切る」と云われた。この「切る」というのは「堪忍袋の緒」を切ることであり、我慢できなくなって「切れる」のではなく「切ることが教育だ」という決断の元に意志的に子どもらと渡り合い「切っている」のである。それは子どもとの関係性を切ることではない。むしろ後でしっとりとその意味を語るというのであるから、古い関係性を積極的に切って、新たな価値を含む関係性を創り出すために出逢い直す、という意味であると考えられる。つまり氏のテーマは「子どもといかに出会うか」ということであり、そのためには「堪忍袋の緒が切れる」のを意図的に我慢もするし、意図的に「切る」こともある、ということである。むしろ避けたいのは、教師と子どもが渡り合わず無視しあい、会ってはいても出会うことのない関係性なのであろう。

b.どのようなタイプの教師として自立していくか。〜教師のタイプ・モデル論

 年輩の教師になってきた私は、最近同じような歳の同僚教師から「あなたのような人は、自分だけ好き勝手に実践するのではなく、若い教師を育てることにもっと労をとってほしい」と云われた。そういうことにかねてよりあまり気の進まない私は、若い教師たちに最近は言い続けている。

「教師には、生来的にいろんなタイプ・型がある。論理的・科学的なタイプ、情緒的・心情的なタイプ、表情豊かなタイプ、能面タイプ、ひ弱なタイプ、最終兵器的タイプ、強面タイプ、キムタクタイプ・・・当面はどのタイプでもよい。自分がどのタイプの教師に近いかを見つけ、その型の教師として教育のプロと呼べる仕事がしたければ、そのプロの仕事から盗めばよい。そして自分の目指す教師のタイプ、よりすごいプロを当面は自分の実践家のモデルとすればよい。そのモデルを自分の学校などという狭い範囲にだけ求めるのではなく、広く教育書の優れた実践記録や他の郡市や全国の実践の中で見いだす努力をすべきである。そしてそのモデルに近づく努力をするうちに、教師としての自分がトータルに出来上がってくる。そうしてやがてモデルの実践から自分の教育実践家としてのオリジナルの型が見つかるだろう。そうでなく、別にプロになりたいとは思わないのであれば、・・・それは自分に教師は向かないのである。自分のためにも、教えられる子ども生徒のためにも、なるべく早く教師を辞めて他の職業に生きがいを見いだした方がよい。」

 若かった悩める教師時代の私にとっては、「服部 潔」「大西 忠治」が教師のモデルであり、彼等の話し方や身振りまで真似てみたものであった。そして実践に行き詰まったときには、「こんな時には服部 潔、大西 忠治ならどう考え発想し、どう行動するだろうか・・・」と予測を試みたものであった。そしてそれがその時代の自分の実践的な支えであったことはまぎれもない事実である。この実践家としてのモデルはどんなに優れていても研究者ではなく、実践家にしか求められないのである。そういう意味では多様なタイプの教育実践家のモデルを実体として持っている全生研とは、まさに教育実践の宝庫であるといえるだろう。そして気づいてみれば、自分はモデルとした型とは似ても似つかぬ、醜悪なオリジナルの教師になって生徒に嫌われていた。

篠崎氏の講座から参加者が、特に女性教師が励ましを与えられたことの理由の一つは、そこに自分の求めうる女性教師のモデルを発見したからではなかったか。遠大なあまりに自分とかけ離れたモデルではない、ついつい愚痴や子どもの悪口を言ってしまう、どちらかというと軽率な、でも楽天的で明るさが取り柄の女性教師。そんな自分の持ち味を生かしながら、自分もそれなりに学習すれば到達可能に思える女性教師のモデルと出会うことができた。だからその出逢いは「エネルギー」となったのである。

閉会式の中で加藤氏が「篠崎先生は、もし男性だったらどんな教師なのだろう」という意味の発言をされたのは、そこに目指すべきひとつの教師の典型的なモデルを見ていたからであろう。私も想像してみた。篠崎氏は男性であれば、楽天的で軽妙な、しかも直情的な、健気に生きる人間への優しさ(その裏側に自己の人生の「悲しみ」を背負っている・・・自分も家庭問題で苦労している)「寅さん的教師」だろうと。ただ少し寅さんと異なるのは、教育実践家として集団的分析・学習によって得た「原則性」が筋として通っていると云うことである。その原則性については、先の「私が切れるとき」でも了解できるだろう。

3.実践分析・細江実践「飼育祭りに取り組んで」〜三つのカーニバル

これについては実践分析の中でも意見として出ていたが、私は細江氏らしい実践だという感想を持った。先に述べた教師のモデル・タイプ論で云うなら、細江氏とは実践の中で細やかに「ミクロ」の部分、つまり個々の子どもの心の状態や心情、および個々の子ども相互の関係性を繊細になぞる、そしてその分析にしたがって仮説を立てて実践していくようなタイプというよりも、むしろ公私の個と集団、あらゆるレベルの状況を鉈で切り開いていくような、豪快というか「マクロ的」な、しかし実践の組立や準備手順については充分に緻密な、行事中心の実践家という印象を私はもっている。いわゆる学級集団づくりを、自治の活動の中で積極的に構想していく能動的な「攻め」の教師、楽天的な実践家のモデルである。先に述べたが、それは悪いという問題ではなく、それが教育実践家としての自己の属性なのだから、それが実践の中で生きて働き、教師として輝くことができ、かつそれのもつ弱さを補うように、それを自覚して実践すべきであると私は考えてきた。

 この実践における細江氏の動機は実にはっきりしている。「4年生が飼育を担当する、実にやっかいである。」スタートは実に否定的な感情からである。現在の岐阜の教育現場では、それぞれの教師が自由に実践することより、研究指定や道徳など押しつけられての実践が年々多くなってくる一方であるといっていい。生きがいをかけて教育実践することが少なくなると、どうしても仕事での疎外感が強くなり、教師はストレスを溜めることになる。それを避けることが自己の実践家としての重要な属性である細江氏は「どうせやらねばならないのなら、子どもも教師も楽しめるように実践しよう」というスタンスをとる。つまり本来は教師にとっても子どもにとってもやっかいなことを、その受け取り方を工夫することで、主体的に楽しく取り組むことができるものにしようとしているのである。簡単なようでそれが意外と難しい。

 「生活指導教師は管理を指導に翻訳する。」

 細江氏は、この飼育をみごとに子どものカーニバルとして構想し、実践に移していく。ではそのカーニバル化の要素とは何だったのであろうか。

 @原案作成、提案、討議、決定、実行などの筋道に、子どもの「自治」と主体的「参加」が保障されている。だから子どもが夢中になる。

 A学級・学校に留まらず、地域にまで実践の取り組み領域を広げた開放性がある。

 Bリサーチ等の学びと、それによる子どもの飼育に関わる認識に、一定の深まりがある。

 そしてさらに細江氏は、「どうせやるなら・・・」とばかりに、何人かの気になる子どもの変容や対他関係の変革をも実践の中でねらっていく。(やや付け加えといった感はぬぐえないが・・・)

 以上のような意味で、細江氏は自らの教師としてのタイプを最大限に生かして、カーニバルを子どもと創り出すことに成功する。それはまさに氏が緻密に構想し、創り出したと云うよりは、(もちろんそれもあっただろうが)むしろ生活指導教師としての学習と経験によって磨かれた感性がそうさせたと云えるのかもしれない。

 さて、このようにカーニバルとして大きな成果を得た飼育祭りの実践は、その成果は今後のカーニバル実践への典型実践として教訓を残したが、一方で課題もある。先に述べたように、細江氏の持っている実践家としての特性から、当然実践上弱い部分がでてくるのである。

 それは一つには「活動のカーニバル」の楽しさの中で、子どもの個や集団の対他関係性に着目し、その非民主的、権力的な関係をひっくり返すという「関係性のカーニバル」は構想として弱かったのではないか。細江氏は「係の様子」のところでいくつかの係の仕事ぶりを紹介している。その中でやや「独善的でわがままな」女子が提案をやり直す場面が描かれている。実践レポートとしては、この女子をこそ対象と絞り込んで彼女の学級や集団、自己に対する認識の変容がどこに現れたかを、彼女の手記などの証言によって検証、追跡してみたかったところである。また、集団の関係性では、原案討議のところで、「ここでは子どもにこれを」というねらいの明確な原案の提案、討議、決定を意図する必要があったのではないか。そのような場面が出現することによって、子どもは「集団の力は討議に出現する。」「集団の有り様は討議決定によって決まる、そして変えることもできる。」というような民主主義に対する根元的な確信といえることを学んでいく。

そして三つ目は「学びのカーニバル」である。このような実践は「活動のカーニバル」として成功しているが故に、逆に「活動主義」に終始する危険をはらんでいる。しかしこの実践の中で、子どもの学びにカーニバルをねらうのであれば、それは個々の子どもや集団の飼育・生命・ペット・環境等についての学びの認識に広がり、変革を迫るものであろう。また普段の授業では輝くことが難しい子どもが、逆に日頃は優等生のいすに座る生徒に教える、援助する、認識の変革を要求するようなものとして構想される必要があったのではないか。

つまり細江氏が飼育祭りを、真に子どもの自治的なカーニバルとして構想しようとするなら、その中に実は三つの層のカーニバル性、「活動のカーニバル」「対他関係性のカーニバル」「学びのカーニバル」を相互に絡み合いながら総合的に追求することで成立したはずである。

(この場合、「カーニバル」とは、ある事実・事件を引き金にして、非日常的な狂喜乱舞といった楽天的な集団的トーンや動きを創り出し、その中でそれまでの固定的な状態や認識・見方・関係を自分たちが望む方向へ劇的にひっくり返してしまう、あるいは改めて出逢い直すことを指している。そのようなイメージを借りるためにこの言葉を使用した。)

しかしそれができなかったのは、云ってみれば当然なのである。そもそも細江氏は学級の子どもたちについて、彼等が身にまとっているであろう学びの権力性、対他関係の権力性・非民主制に気づき、それを取り出して問題だと考え、止揚する手だてとして飼育祭りを意図的・戦略的に構想したものではない。「単にやっかいな背負い込みものとしての飼育を、教師にとっても子どもにとっても、少しでも楽しく取り組むことはできないか」というスタートだった実践に、「どうせやるなら・・・」と、他のねらいを付け加えたものであるだけに、自ずと限界があるのである。

 とにかく自治的・カーニバル的実践として研究的にきわめて重要な教訓を分析で引き出した、学べる実践であったことは間違いない。そして今後の岐阜生研の実践に重要な示唆を与えてくれるであろう。

 

PS.学期末の仕事をほっぽりだして、この研究総括案を書いている。私の人間存在は、学期末の仕事よりもこの研究総括を創ることを選ばせた。

 実は7/ 10の常任委員会の提案と、この文書とは少しだけ異なっている。印刷した後で書き加えたためである。この提案に対して、各務ヶ原の伊藤氏からは、「岐阜生研の生活指導運動の発展という見地から、基調提案には新出の ”カーニバル”などという言葉は安易に持ち出さないでほしい、職場の周りの教師には何を指すのか通用しない。」というような批判、また河田さんからは、「研究総括のタイプ・モデル論の部分は、そういう教師の自立の方向について否定はしないが、何かモデルをもたないといけないような感じを受けるので、研究総括の提案には載せない方がよいのではないか?」

 伊藤氏や粥川氏から「女性教師という表現については・・・?」との批判・指摘を受けた。

 しかし一方で稲垣氏の「毎回何を云いたいのか難解なことの多い秀樹君の提案だが、今回はよく分かった。」、実践分析については実践提案者の細江氏から私のこの分析総括に対して「100%その通り!」との意見、その後、会長の加藤氏からも同じような意見を電話でいただいたこともあり、「カーニバル論」「教師のタイプ・モデル論」も含めて、言葉の規定や選び方も不用意で、全体としても未熟で誤りの多い論であっても、新たな実践研究の深まり、全国大会という文字通りのカーニバルに向けて研究論争の火種となる、久しぶりに研究集団としての岐阜生研を活性化できそうな気配があるので、あえてそのまま岐阜生研へは提出することにした。

 肯定であれ、否定で荒れ、なんと云っても論議になり両面からの反応があることが、提案の側からすれば励まされることなのである。

                  1999.7.11   秀樹

もどる